お前のしていることはいい加減なのかと、あるとき尋ねられました。
自分では「いい加減だから」と言うことがありますが、あらためて詰め寄られると、ズバッと「そうだ」とは言い切れない、「いい加減」という言葉は、何ともいい加減な性格を持っています。
いい加減の「いい」を「↓↑」と発音するのと「↑↓」と言うのでは、意味が逆転することに、今頃ですが気付いたのは、呑み会の席でのKさんの話からでした。
子どものときに、うなぎ屋の店先の水槽で、ただうねうねとうごめいているうなぎの群れの中に、どういうわけかまぎれ込んだ金魚を見つけた、あのときのことを思い出します。
前より後が上がるとよくない表現になり、下がるとよくなる、これは上昇志向一本槍の方には気にいらない話でしょう。
「いい」を「好い」と漢字にして普通に読むと、ほとんど「↑↓」となるのがまた妙です。
「ものは言いよう」と言われますが、ここにも「いい」が出てきます。
「いい」は「飯」でもあって、日本人の食べものとも深いかかわりがあるからだと、これはまたいい加減なこじつけですが、ここまで来て、この話が出だしで間違っていたことに気付きました。
聞かれたのは「いい加減なのか」ではなく「適当なのか」だったのです。
「適当」が「いい加減」にすり替わっても、話の筋道はほとんど同じです。
こう書いてあるとか、こう言ったとか、そんなことは読み方聞き方でどうにでもなるのに、大勢集まってわいわいもじゃもじゃやっているさまは、水槽のうなぎとあまり変わらないような気がしてきました。
あと四十余日後のいっせいに食われる日に向けて、懸命に太ろうとしているうなぎ君たちにも、いい加減にしておいたほうがいいよと声を掛けたくなります。