時を逆回しにしてみて楽しむ人がいます。
してみて楽しむより、させて見せて楽しむと言ったほうがよいかもしれません。
昔言葉の好きな人がいます。
古い書物を読み解くのでは飽き足らず、今の書物をわざわざ昔言葉に書き換えようとする人もいます。
これも時の逆回しなのですが、この書き換えも自分ではせずに、させて楽しむ人がいます。
よくある古典の現代訳の逆で、現代文の古語訳です。
こんな本を買う人はいませんから、本にはしません。
必要だから考えるのではなく、考えてから必要としてくれる相手を探す、時の逆回しです。
古典と古語は、感覚と様式が古さで結びついているところに、奥深さ、面白味あるので、言葉を入れ替えてしまえば、それは少なくとも半減するでしょう。
古典の現代訳は、読み手が現代にいる人ですから、言葉と人の感性は一致します。
しかし、現代文の古語訳は、現代のことを昔言葉に置き換えて、それを現代にいる人に昔の感性で読ませようという、矛盾を重ね合わせるあほげたことのように思います。
こういうものには、不幸なことに、必要を装う人が出てきてしまいます。
現代文の古語訳は、入試問題や国語検定問題には使えてしまうのです。
試験というものは、形式がその本質で、採点が成立しやすければよい問題ということになり、要求と提供が一致します。
現代語を古語に換える辞典はないかという人がいて、そんなものはまさかないだろうと思っていたら、それがあったのです。
「現代語から古語を引く辞典」名づけて「現古辞典」、それが著名の出版社から出ているのでした。
時を逆回しにしてみて楽しむ人が、案外多いのかと、何やら背筋が涼しくなってきました。