どこかの国で急に難民が出たら、それがいつ押し寄せてくるか、津波と一緒で、何十年に一度などというご都合計算は役に立ちません。
こういう限度不定の事象襲来への対策は、とにかく早くたてておかなければなりません。
津波にはとにかく高いところへ逃げることですが、難民の場合は逃げればたちまち占領されてしまいます。
押し寄せる人にも蔭のリーダーがいて、ジンドー印の旗を振りかざしてきますから、滅多な対応はできません。
ホームステイや旅人相手と違い、仏ごころなど通じない相手には、組織的な対処を考えておき、それができる人をあらかじめ養成しておくことが必要です。
組織のこちら側のリーダーには、難民保護司のような訓練を受けた人が必要です。
保護士ではなく、一定の権限を持った保護司です。
余談に走りますが、「一定の」というつかみどころのない奇妙な熟語の用途を、ようやく会得した感じがします。
難民は虐待してはならず、保護しなければなりません。
言葉の通じない、何をし出すかわからない集団であってないような人たちの保護は、「上手に」行わなければなりません。
永田町では、この研究は進んでいるのでしょうか。
どこにやらせればよいという程度の丸投げ球を放り出されたのでは、キャッチャーが現れずに球は大きくなりながら、霞ヶ関を素通りして市中を転がり回ります。
市民は、法文の読み方などよりも、実際に起こりうる事案に、英知の結集を期待するしかありません。
起きなければ事案ではないなどという、言葉遊びはお断りです。