何種類かの弁当を並べて「どれにする」と言われたとき、目先の変わった風変わりなもの、カワイイものを選びたくなります。
そのとき、選ばせられることに悪い気持ちはしていません。
何人かの候補者の中から、何年かの間の政治にかかわる意見の代弁者として誰を選ぶかを迫られたときには、"またか"という思いが先に立ちます。
公職選挙では、"目先の変わった"という嗜好選択は、通用しないとまでは言いきれなくても、決して良い結果は得られません。
投票の判断材料になる情報を、投票する人が自分で集めなければならないようにしておけば、弁当選びのようなことしかできなくなるでしょう。
そこがつけめなどと考えているような人も、中にはいるかもしれません。
一食限りの弁当のような選び方をされた人が集まって、わいわいやった結果が、孫ひ孫の教育や生活を、より低水準に向かわせるとすれば、これはもう冗談ではすまされません。
どこかの国で見てきたことをまねただけの政治様式が、結果を見つめられずにだらだらと続けられるとき、その国の成長グラフが右肩下がりになっていくことは間違いなさそうです。
とにかく"カワイイ"だけの選び方はやめておきましょう。