妄信と盲信、どちらが先かといえば、順序は盲信から妄信へということになるでしょう。
何か頼れそうなことにはまず「信じます」が入り口になります。
初めから全貌をつかめることはないので、目をつむって手探りでも信じる、つまりは盲信です。
信じていて、しばらく異変がもたらされなければ「信じてもよさそう」から「信じないわけにはいかない」となっていきます。
そうなれば、いつの間にか相手が姿を変えたことには気づきません。
信じさせようという側の本性に気付いても、信じていたほうはもう後戻りできなくされているという仕掛けです。
これこそ、妄信に陥った状態です。
国土の領有が脅かされても、国民が他国に連れ去られ何十年経っても、そのまま半世紀以上放置されるというのは、他国から見ればまことに奇異なことでしょう。
この奇怪現象は、黙って見守るよりしかたがないものという妄信がそうさせているからです。
始末が悪いのは、困った妄信のもとが、憲法という法の最高位にある取り決めにあるということです。
この妄信を振り払うには、頭の切り替えというなかなかの難題があります。
まず、ふだん何も考えていない人が何となくもたされている妄信に気付いてもらうことから始めなければなりません。