平和維持には、専守防衛に反することはいっさいダメという妄信があります。
憲法第九条を変えることは、専守防衛から大きく逸脱し、日本国憲法の平和主義は換骨奪胎されると唱える人がいます。
この人たちは、ガードの姿勢をずっと持ち続ければ、叩かれることも打たれることもないと信じているか、信じなければならないと思っているか、そう思わされているか、多少の違いはあっても、みな永久催眠にかけられて深度妄信症に罹っています。
専守防衛とは、戦いが始まるときはいきなり本土決戦という必然を受け入れるということです。
専守防衛を動かせない原則として守りぬくには、無抵抗状態の犠牲者がかならず出ることを覚悟していなければなりません。
専守防衛を逸脱してはならないという人は、よその国の軍隊が砂浜からのこのこ上がってきて、向こうが一発撃つまではじっと待ち構えている、それから本土決戦が始まるとでも思っているのでしょうか。
いきなりミサイルが撃ち込まれて、何万人もの命がまず奪われることから始まるという、恐ろしいことは考えてはならないと思わされています。
恐ろしいことには顔をそむけていなければならないと妄信教育をされ、心と体に沁み付いた困った人たちが、いま、国ぢゅうでだいじな仕事を受け持っています。
その人たちの目を覚ますにはどうしたらよいのでしょうか。