全世界の社会主義化がいつかは達成するという大妄信は、1991年のソビエト連邦崩壊で拭い去られたというのもまた妄信であるようです。
社会主義は頭のあまり強くない独裁者を作り上げるので、世界を制覇することはないのですが、夢を見る時期と時間が合致すると、集団妄信のようになって、人々を惑わします。
ソビエト連邦の終末に近いとき成年に達した人は、妄信を引きずったまま次の世代を生み出しました。
生み出され人には、その親が育ってきた年代の、醒めきれなかった夢をまた受け継ぐこともあったでしょう。
ふとしためぐり合わせで、妄信のはたらきが仕事に活性を与えてしまうと、社会の実態に逆らうことが自分の背負った使命であるかのような、またまた妄信を作ります。
仕事上ではその始末の悪い妄信を貫きながら、自分の生活では全く逆の、独り優雅で、さらに長寿を楽しむという、分裂しながらつながっている奇妙な二つの環境の間を日夜往復し、それが長々と続きます。
個人のくらしぶりであれば、関係する人の迷惑ぐらいで済みますが、その仕事が、社会の動きに大きな影響を与えるものの場合は、想像するのもおぞましいことになります。
「仕事ですから」このひと言の危うさが、今冬の寒さのように身にしみてきます。