社会組織に不都合なことが起きたとき、自浄能力が及ばない場合に、第三者委員会という便利なものが作られます。
あまり上等でないことを組織運営上の常套手段にして、ずるずるとそのやり方を続けていれば、自浄能力は自然に低下していきます。
いい加減なことをずっと続けていて、だんだん良い方向に向かうということは決してありません。
自浄能力がなければ他力に依存するしかなく、そこで第三者にお出まし願うということになります。
ところが、能力不足の当事者から依頼された仕事ともなれば、当然第三者性はあやしくなります。
かといって、その役を買って出たのでは、そのときにもう第三者ではなくなりかけます。
どちらにしても、多くの場合第三者とは当事者に無関係に見せかけるための呼び名の冠にすぎません。
依頼されて事を運ぶなら、事業内容が「第三者」という会社ができるかもしれません。
ラジオで聞いた話ですが、役人を卒業した人が第三者委員会の委員長になると、役人がお手伝いしましょうかと寄ってくるそうです。
ことによると、寄ってくる役人は当事者とどこかでつながっているのかもしれません。
おや、とここまで来て妙なことに気付きました。
第三者委員会ができるとき、二人称の人はいったいだれなのでしょうか。