「この国」という呼び方は、外国人から見て今いる国を指す場合、あるいは小説の中での仮想国家をいう場合には、別に奇異に感じません。
しかし、日本人が「日本」と言わずに「この国」と呼ぶのは、自分の親や夫のことを話すときに「あの人」と呼ぶのに似て、距離を置きたいのか、気取りがそうさせるのか、いずれにせよあまりよい感じはしません。
夫の場合はもともと他人、帰化した人の場合はもとは外国人ですからまあよいとしても、日本に生まれてなぜ自分の国をこの国と呼ぶのか、それには何かの意図が絡んでいるのでしょう。
日本に生まれ育ちながら、反日を唱えたり、唱えないまでも心の底に反日の意識を持っていたりする人が、日本のあらゆる場所にいます。
その人たちは、自分のいるところを「日本」とは呼ばないでしょう。
ことによると国という概念さえ嫌っているかもしれません。
日本を「日本」と呼ばない人に、心を寄せることはできません。