カーナビ頼りのタクシーに乗って酷いめにあったことが、何年か前にあった。
パニクった運転手に、会社に電話しなさいと言って、ようやく道を探し当て、目的地に30分遅れで着いた。
あれからだいぶ精度は上がっていると思うが、どうなのだろう。
小学1年生のとき、友達の家に招かれて行ったが、一度案内されたら二度目からは案内も出迎えも不要、それなのに町名も番地も教えられた記憶はない。
どういう具合に覚えたのか、今ではとても解明はできない。
ちかごろは、待ち合わせ場所を間違えたり、行き先の施設名が不確かで似た名前の別のところへ行ってしまったり、Google地図も役立たないことがしばしばある。
子供のときの道覚えと、大人のそれとは、頭の働きが全く違うようだ。
子供のときは、メモリに空き領域がたくさんあって、自分の位置情報も一瞬で記憶できるのか。
大人は、伝言、場所の呼び名、地図上の位置、理解記憶などという、そこに行き着くことには直接関係のない、ノイズ満載の情報をしこたま取り入れて、不確かな制御方法で扱うから、違った、困った、ということになりやすいのだろう。
自分の頭を使わずに、何かに頼る度合いが、年齢を重ねるごとに増していく。
そのことが、間違いの要因の最右翼にあるのだと思う。