・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

俗人の楽しみ:22 聞き耳

2019年12月16日 | つぶやきの壺焼

聞き耳を立てるのは聞こえない話を聞き出そうとすることですが、聞き耳を立てさせようと仕向ける話術もあります。

声を小さくして聞きにくくすると、皆が注意して聞くようになるという手法を、講演などで用いる人がいます。
亡くなった西部邁氏は、しっかり聞かせたいときに「小さい声で言いますが」という前置きがお好みのようでした。

聞きにくくするには、声を小さくするだけでなく、口語ではあまり使わない言葉を混ぜて使うという方法もあります。
議会や記者会見での発言にもその手がときどき使われます。

麻生副総理のお得意の手で、未曾有を「みぞゆう」と言ってみると、国語表記の基準どおりの言葉しか知らない記者はたちまち引っ掛かります。
それを鬼の首でも取ったように揶揄するような記事を書く人は、自分の知識の浅薄さの宣伝になっていることにも気付きません。
昔使われていた読み方を変えて、現外語風に3音めを「yu」とはっきり発音して聞かせれば、耳に刺激を与える効果が強まります。
石原元知事も同じ方法を使っていました。

安倍総理の「必ずや」という文語混入もその手だったのでしょう。
「必ず」では言葉の力が足りないとみてのことかもしれません。
それを、わざわざ「や」を抜いて記事にしていた世話焼き紙もあります。

耳という機関は、不思議な力を持っているものです。
耳の働きが弱まると、歩調まで怪しくなりますから。

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俗人の楽しみ:21 目立つ

2019年12月15日 | つぶやきの壺焼

商売繁盛のためには、目立つことがだいじです。

持っている力と目立ちの度合いとのかね合いもだいじです。

国柄で見ると、歴史の浅い国はとかく目立ちたがるようです。
ここでいう歴史は、現在の国体が備わった時からの話で、その土地が存在していた年月のことではありません。
どこかに四千年の歴史があると言われる国があっても、途中で大革命があればいまの国柄とは無関係でしょう。

力を出せる人がどれほど大勢いても、自分が目立ちたいだけの独裁者が国の実権を握っていれば、人々の力は国力としては働きません。
自国民の力をまとめきれない独裁者は、勢力範囲だけを国外に向かって押し広げるしかありません。

そんな国の首領を国賓として招けば、侵略に手を貸し独裁者個人を満足させる効果しかないのはわかりきったことです。

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俗人の楽しみ:20 虚言

2019年12月14日 | つぶやきの壺焼

虚言は、発信者の論理で作られる、目的を持った作品です。
見破られたときへの対処方法、自己責任への覚悟を、それぞれに持って発信されます。
そうでないただの嘘は、ギャグであったり、妄言であったりします。

虚言作家は、類が友を呼び、N町には群をなしています。
群は大小さまざまで、小さな群が大きな群のなかに溶け込んでいることもあります。
そこでの虚言の目的は、多くの場合、作家としての地位の保全が大きな割合を占めます。

発信の仕方には、地位の保全が考えめぐらされています。
虚言の論理に組み入れにくい、国の未来のこと、国民生活の将来のことは、ほとんど埒外に置かれます。

こういう虚言作家の地位保全に力を貸す奇妙な寛容に、暗くて辛い自己責任を感じている人はどのくらいいるのでしょうか。

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俗人の楽しみ:19 略称好み

2019年12月13日 | つぶやきの壺焼

略称はどこの国でも好んで用いられるようです。
株式会社という社名の基礎部品を(株)と書いたり(カ)と書いてみたりします。

英字の場合はこれが何種類もあって、なかには同じような意味の記号が二つも並べて使われている奇妙なものもあります。

賞味期限の表示義務を定めているJAS法も奇妙な略称です。
正規の名称は「農林物資の規格化等に関する法律」です。
日本農林規格の制定がこの法律の主目的と見えますが、それに食品全般にかかわる規定を含めると、名前と中身が合わなくなり「等」を付けてもまだしっくりこないので略称で呼ぶことが一般化されたように見受けられます。

略称には、もとをたどっていくと、叡智とは異質の何かが潜んでいるように感じます。

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俗人の楽しみ:18 期限

2019年12月12日 | つぶやきの壺焼

期限を決めておくと、自分の意思がしっかりしたような錯覚を招きます。
期限のギリギリまで手を着けずにいて、あとはバタバタと片付けるのも、よくあることです。

期限が決められてあると、そのものごとが確かであるような感じを受けます。
販売される加工食品には、賞味期限の表示が食品衛生法とJAS法によって義務付けられています。
この表示を見ると、何となく安心感をもつだろうというもので、味が保証されているわけではないでしょう。

食品の表示は見せる期限ですみますが、見せるだけではすまない期限があります。
そういう期限は、何年何月何日までという表し方はしません。
「任期中に」「生きている間に」などと、いつのことかわからない言い方になります。
言い換えれば「そのうちに」と同じことで、これを聞いたときは半ばやる気はないと見たほうがよいのかもしれません。

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俗人の楽しみ:17 踊り

2019年12月11日 | つぶやきの壺焼

東京パラリンピックの開会式と閉会式で、パフォーマンスを披露する主役を含む出演者およそ400人が、障害のある人を中心に一般からオーディションで選ばれるそうです。

パフォーマンスといっても、日本のパラリンピックであることを忘れずに選考してほしいものです。

民族舞踊と無関係の踊りに適当な名前をつけて見せようとするような、思考障害者のパフォーマンスは排除しなければならないでしょう。
それはヘイトではありませんから。

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俗人の楽しみ:16 盾

2019年12月10日 | つぶやきの壺焼

盾は、刃物、鈍器、弓矢、投石、銃射撃などから身を守る防具ですが、賞品や室内装飾にも使われています。
衣食住の直接の目的から外れたところでも、守ること褒めること飾ることにかかわるモノがだいじにされてきたのでしょう。

盾は、通常体の前や横に向けて使われますが、これを後ろに背負うと後ろ盾ということになります。
後ろ盾は、モノではなく心の盾です。
人間が何か活動する場合、確かな後ろ盾があれば目的への意の注ぎ方も強くなれます。

後ろ盾も、ときには危険なこともあり、形勢の都合上任せたような後ろ盾に、いつしか銃眼が作られ、機会を見計らってそこから銃口が向けられることもあるので、後ろ盾になっているはずの人の構えや動きにしっかり気を配らなければなりません。
そうなると、国の運命をかけたようなことがらに傾注することもむずかしくなります。
大事への障害は、身の回りにもあって、それもすぐ背中からの力が最強であるのは、物理の法則どおりなのです。

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俗人の楽しみ:15 呑む 

2019年12月09日 | つぶやきの壺焼

「呑む」楽しみの王者はやはり酒でしょう。
"酒"で検索してみたら、近所の酒屋の地図が出てきました。
酒屋を調べても仕方がないので、"最高 酒"にしたら、出てきたのが「十四代 純米大吟醸 大極上諸白 龍泉」、味は想像に預けて、折角なのでどういうものかを覗いておくことにしました。

まず総銘柄の十四代のいわれから始まります。
元和元年創業から十五代の、山形の高木酒造の当主が、商標登録を申請したとき、十三代、十四代、十五代の三つのうち十四代だけが認められたという話です。
十四代なら「とよしろ」と読めるので、認定した役人のお気に召したのかもしれません。

諸白(もろはく)は、麹米と掛け米の両方を精白米で造られた透明度の高い酒で、その大極上なら、さぞすっきりした旨い酒なのでしょう。
「龍の落とし子」という十四代にしか使わない米から造って、氷温貯蔵し熟成させた泉のような酒で、龍泉と名付けたようです。

もし金満家から「一杯呑ませる、何かお好みは」と聞かれたら、「十四代龍泉などいかがでしょう」と言ってご覧になるのも一興かと思います。

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俗人の楽しみ:14 歌う

2019年12月08日 | つぶやきの壺焼

"歌"で検索してみたら、いま喜ばれているPOPがトップに出てきました。

POPは、はじけるような楽しそうに歌うものかと思って聞いてみると、多くの歌手は目をつぶって苦しそうにのどを絞って叫んでいます。
こういう歌をなぜポップと呼ぶのか、そこで気付いたのは、このPOPはポップコーンのポップではなくポピュラーのポップらしいということでした。

歌を聴く人々が、常に苦しみの中にいれば歌う苦しさに共感を覚え、生活に苦しみなど知らない人は、味わったことのない異様な姿に驚き、それぞれに感動を覚えるのでしょうか。

すぐあとで苦しさなど全く感じさせずに歌う人の歌を聞いてみると、始めはほっとし、中ごろには平板さに飽きがくるのです。

歌がなかなか覚え込めないのは、歌の途中から耳には入っても聞いてないのだということがわかりました。

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俗人の楽しみ:13 持ちもの

2019年12月07日 | つぶやきの壺焼

大型の双眼鏡を持ち歩く人が増えているそうです。

大きく立派に見えて軽いものが喜ばれるのでしょうか。
婦人帽、サングラス、ネックレス、カメラ、腕時計、バッグ、靴までも、同じ大きさなら大きく見えるほうが好まれているようです。

持ちものでなく国までも、大きく見えるところとの付き合いがだいじにされます。
すぐ隣に、広大な土地を持ちながら勢力範囲を大きくすることだけに執心している国があると、その勢力範囲に呑み込まれる恐れには気付かないふりをして、相互の繁栄第一を唱える友好バカがあらわれます。
友好バカは、相手の望んでいる繁栄が、相互ではないことには目をつぶります。
前世紀に、大きく見える国と不可侵条約を結んで大失敗をした歴史の事実にも目をそらそうとします。
そういう友好バカが、何百万人の殺戮を平然と行う広大国の首領を、国賓として招こうと企み実行しようとしています。

増税には我慢しても、この愚挙だけは許すことはできません。
早々の取り消し宣言をしてもらわなければ、明るい新年など決してやっては来ません。

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俗人の楽しみ:12 回す

2019年12月06日 | つぶやきの壺焼

コマを回したり、回っているものを見たり、回転に惹きつけられるのは人間だけではなさそうです。

フィギュアスケートでも、滑っている途中で回って見せることが、何年か経つうちに3回転、半分おまけがついて降りてから後ろ向きに滑る3回転半のトリプルアクセルが、女子でも当たり前のようになろうとしています。

半回転余分で、そのあとに加速されるのではないのに、なぜアクセルと呼ぶのかと思ったら、その回り方を考えた人の名前でした。

回転してから後ろ向きに進むのは、その状態をいつまでも続けてはいられません。
しかもそこでよろよろと姿勢が決まらないのでは、見て喜んではいられないでしょう。

野党の集団が後ろ向きのままで、よろよろと意味のないことにかかわっているさまは、7回転の問題すり替えを混ぜてみても、見苦しいの一言に尽きます。
それをアホなメディアが騒ぎ立て、さあご覧なさいと呼びかけたところで、人の目を引き付ける魅力はどこにも出てきません。
早く行く手を見定めなければ、後ろ向きのまま壁に激突してしまうでしょう。

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俗人の楽しみ:11 体質改善 

2019年12月05日 | つぶやきの壺焼

体を丈夫に作り変えようと、いろいろ手を尽くすのはよいことです。
たとえ体質改善への効果が見られなくても、何かを試すこと、続けること、努力することは、引っ込み思案、飽きっぽさ、怠け癖の修正改善には役立つでしょう。

脳の働きも、体質の一部と即物的に考えれば改善できそうですが、それは自分自身のことで、他人の脳の働きを変えようとするのは無理無体なことです。

その無理無体を万人単位の人にほどこす鬼のような行為を、平然とやってのけるような人間も地球上に実在します。
そんな奇人の一人を国賓として迎えるなどは、自国民をひとまとめにしてその奇人に献上する大悪手にほかなりません。

この間違いだけは、ポカを打ったぐらいで済ませられることではないのです。

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俗人の楽しみ:10 集まる

2019年12月04日 | つぶやきの壺焼

聴きたいのか、見たいのか、知りたいのか、学びたいのか、そのどれでもなく、人が大勢集まるところに加わりたい、ただそれだけでも、人は集まります。

デモにも、集まりたいだけのものがあるでしょう。
そうではなく、やむにやまれぬ気持から集まって歩く本当のデモもあり、今続いているそのデモには、警察官によって糜爛性の催涙弾も撃ち込まれていると報じられています。
本ものの警察官から小道具を取りあげて身に着けた偽警察官の正体は、圧政の使途の軍隊であるとも聞きました

こんな圧政の中心人物を国賓に迎えようとする愚行は、遅れぬうちの取りやめ宣言を望みます。


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俗人の楽しみ:9 だんまり

2019年12月03日 | つぶやきの壺焼

面倒なことにはなるべくかかわらないのは、処世術の一つです。

しかし、政治家は、国の面倒ごとにどうかかわっていくかが仕事の大半であるはずです。
面倒から逃げ回って、何ごとにもだんまりを決め込んでいたのでは、政治家の役目は果たせません。

一国二制度の約束をしておきながら、独裁政治への吸収を急ぎ、圧政を強いようとする、そんな国に向かって諫めるような声明を出すのは甚だ面倒なことです。
面倒だから、商売に差し支える人たちもいるからと言って、それを国会の話題にもせずだんまりで押し通すのは、仕事の放棄、時間給のただどりに近い行為です。

うっかり招待の国賓取りやめ宣言も、ちょうどよい圧政への抑制材料として、ぜひ使ってほしいと思うのですが、いかがでしょうか。

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俗人の楽しみ:8 権勢示威

2019年12月02日 | つぶやきの壺焼

「法に基づく統治」を唱えながら、他国から招いた学者をホテルでいきなり無法拘束し、一方では自国の人間が外国で逮捕されれば「理由を示さないままの身柄拘束は人権侵害だ」と批判するような権力者がいます。
これをダブルスタンダードと評する人もいますが、無法はスタンダードとは呼べないので、ダブローレスとでも呼んだほうがよさそうです。

俗人が権力の座を得ると、その権力によって社会をより良く、人類を幸福にしていこうということなど考えなくなり、権勢の示威に終始し、大量殺戮や人権無視をそれが常道であるかのようにやってのけます。

そのような餓鬼道まっしぐらのような者を、国賓として迎え入れる外交手段は、必ず国民に不幸を招きます。

権勢示威の無法道行に付き合う義理は全くありません。

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