山! といえば 川!
この符牒を用いたのは 確か赤穂浪士四拾七士の皆さん。
我々は様々な符牒を用いる。
赤は危険。黄色は注意。青は大丈夫。といった色の符牒。
Pは駐車場。




・・もしかしたら・・ヒッチハイクなのだろうか。
もとい。
色や形や音や言葉における符牒と 逆に ある対象物に自らの考えを投影した符牒がある。
つまり 一般的に理解される符牒と 自分で用いる符牒とがある。
問題は 後者
血液型や人相や体格のようなものを 符牒として信じると 人生不調になります。
神様も キリスト教ではゴッド。ユダヤ教ではエホバ。マホメット教ではアッラー。浄土教ではアミダ仏。真言宗ではビルシャナ仏。華厳宗ではシンニョ。天台宗ではミョウホウ。等等の符牒を用いる。
符牒が指針となる?
指針が符牒を産む?
・・・・。
例えば 私にとって成功というものを表す符牒はなんだ?
金を持つ事?
贅沢をする事?
人に認められる事?
自分らしい事?
失敗しない事?
・・・・えーと。せと。ら。
誰しも符牒がついている。
・・・金や 土地や 物や 愛や 待遇や。 人はよく その符牒の所有の権利について争う。
私のものだ。 あの人には負けたくない。 私であるべきだ。 云々といって。
・・・・・・。
西側の人々と 東側の人々が 一匹の 猫 をめぐって対立していました。
猫 とはなんぞや?
金や 土地や 物や 愛や 待遇 などの符牒が 猫。
南泉和尚さんは その猫を掴みあげて 斬り殺してしまいました。
猫 がいなくなってしまったので 東西両側の人々は 対立する理由もなくなりました。
・・・・・。
猫に罪はありません。
あるのは 自分がつけた符牒を捨てきれないこと。
食べ物で兄弟喧嘩をしている場合。 もったいないと思わずに 食べ物そのものを捨ててみる。
ドロドロの▲関係になった場合。 もったいないと思わずに 問題そのものを捨ててみる。
そこに あるから 囚われるものも多い。
なぁーんだ。 そんなことか! 何やってたんだろうわたし。
と思える確率は高い。
斬られる 猫 もきっと救われるだろう。
悪性の執着にならないように。
符牒の在り処を消してみよう。
自分勝手に符牒をつけると。
相手勝手に符牒をつけられている。
捨ててみて浮かぶ瀬もある不如帰。
南無煩悩大菩薩。