南無煩悩大菩薩

今日是好日也

心の箍(たが)。

2006-06-20 | 日日是好日。

お大師様はいつも見ておられるぞよ。

見えないところでこそ努力をせにゃならん。



どないな意味でっしゃろ?


例えばやな。

地道な努力が世間に知れると。恥ずかしいがな。

やってなさそうで案外やるやないか。

ちゅうのが、かっこええんや。

見えへんところでの努力や。


せやけど。隠れてこそこそしたらあかん。

見られてる世間もある思うたら、妙なことはせんやろ。

そう思わんと世間が狭うなりまっせ。ちゅうこっちゃ。



なるほど。壁に耳有。障子に目有。


せや。見えんところでする努力が見えたら捕まる人もおるわな。

詐欺や横領や虐めやらの犯罪をしてしまう人はやね。

人の目さえ盗めたらいってまう人達や。



やっぱりあれですわ。世間をなめてますわな。


せや。世間ちゅうのは、己の世界観。つまり心の問題や。

見えへんでも世間は見とる。と思わなあかん。

おのれの了見だけで身勝手になめたらあかんのや。

せやからな。心の箍が割合簡単に緩んだり外れたりしよるんや。



地道な努力も、隠れてする悪さも。基本は同じでもや。

心に箍があるとないでは大違いちゅうことでっしゃろな。



あんたはん。今日は何時に無くご立腹でっか?


せや。小耳にはさむことがな。どうも姑息で無責任な輩(やから)の話が多いんちゃうか思うてな。

恥ずかしい話やで。そらま。我が振りもなおさなあかんけどや。



躾の問題なんでっしゃろか?


ええ歳こいてやな。躾でもおまへんやろけど、なんや緩んでるのちゃいまっか?



ふんどしでっか?

あほ。



・・・・・。



写真は弘法大師空海さん。

空海さんのみならず、世に聖人は数多い。

人はその歴史上多くの信仰の対象を生み出してきた。

小生は想う。

信仰とは、心の箍を維持するのに貴重な大目付なのではと。

つまり。

緩み外れそうな自己を躾、律しようとするならば。

世間を構成している見えない律儀さ。というようなものを信仰する必要がある。

その精神性の維持に、空海さんを始め神仏の果たしている役割は大きい。

と。斯様(かよう)に思うのであります。火曜に。


・・・。
コメント (2)
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