はじめ君は言いました。
こうすればいいじゃないか。
おわり君は反論します。
そうしたら後で困るじゃないか。
何の話だろうと、耳をすませて聞くと、二人ともその言い分には、もっともな理由がありました。
ただ、はじめるまえのことと、おわったあとのことの意見を主張する二人に接点はなかなか見出せません。
難しく言うと、二人は、「事前合理性」と「事後合理性」について述べているのです。
そんなはじめ君とおわり君の間に、「幸運」君と「チャンス」君と「災難」君がわって入りました。
ほんとにそれは、「偶然」の出来事といえるものです。
はじめ君は、チャンス君ととても話が合いました。おわり君は災難君の話を熱心に聴いています。
そしてそのうちはじめ君は災難君の話も聞いてみようと思いました。同じようにおわり君はチャンス君のいうことも聞きたくなりました。
幸運君には、それが「必然」のように見えました。
このことを、「偶然を必然がつかまえる」といいます。
はじめ君とおわり君の考えがちょっとづつ変わっていくのを見て、幸運君は微笑みながらうなずいていました。
そのうち二人はきってもきれない仲となり、はじめのおわりかおわりのはじめかわからなくなりました。
丁度、東の人にとっての日没が、西に住む人にとっては、朝日になるように。
そして両方とも互いに意見を尊重し受け入れてなごやかに過ごしたそうです。
このような状態を、「はじめ、おわりで、あとなごやか。」というそうでございます。
初め尾張であと名古屋か。
人も地名も変わっていくものでありましょう。