二宮尊徳翁は、しこたま勉学に励んだ。
その強靭なまでの学習意欲が、行動の中心に座った人物であります。
仕事をするために学習をしたのではなく、学習するために仕事をしていたとおもえる程です。
また自覚の人でもありました。
学習と自覚とは切っても切れない相関にあるようです。
自覚によって学習の必要性を悟り、学習によって自覚の信憑性をより高める。
自覚と学習のスパイラルの高度化は、
内面のやすらぎと安定。
落ち着き。
調和。
自己管理。
動機付け。
コミットメント(絶対的意思)。
忠実。
献身。
および積極的な思考を育てるといわれます。
なにもない、徒手空拳を余儀なくされた生い立ちから、自己という唯一つの財産を、勉学に励むという唯一の手段に徹しての成功は、「やればできる」の具現者としての光明を示してくれます。
自覚は、現実的で実質的な反省から生まれます。
ソクラテスさんは、「思い省みることのない人生とは、生きる価値がない。」とまで言い切りました。
やればできるのは、自覚と反省と勉学の良好なスパイラルによって自己を成長させるからです。
やってもできないのは、やっていることの度合いと自己の自覚度合いとのミスマッチあるいは乖離にあるようです。
才覚いかんに関わらず、
できるだけ、
できればできるだけ、なるべくできるだけ、
できるだけできるだけ、
やればできる。
尊徳さんという人物の教えてくれるところを、そんな風に考えてみるのであります。