(画/月岡芳年「山中鹿之助 月百姿」)
飽くまで生き抜く力と言っても、朝から晩まで肩肘張って力んでいることではありません。相手や、場合によってそうしなければならないこともあるでしょうが、始終そうやっていては誰だってくたびれてしまいます。
人間は一面、ゴムの紐と同じようなものであって、あまり長く緊張し続けるとのびてしまいます。
若い時、かなり激しい気性の人で、活動し続けて来たのが、老後になってぽかんとしてしまったという老人など、たまにみなさんの周囲にお見受けになりませんか。
そうかと思うと四十過ぎまでは、何の存在も認められなかった人が、中年からそろそろ活動を始め、老境に入るに従っていよいよ冴えて来たという人もあります。
それからまた、若い時から忙しい生活をし続け、一生それを押し通し、老いてますます盛んな人もあります。
以上三つの型に人間の生涯が区別されます。
これはどうしてでしょうか。一つは気魄や、体質により、一概にも言われませんが、概して、人間のうちにある「飽くまで生き抜く力」というものを、信仰とか信念とかで掴んだ人が活動が続くようです。
終日語って一語も語らず。終日行じて一事も行ぜず。
いつも青年の気を帯び、老いてますます盛んな人をよく観察して御覧なさい。必ず何らかの一貫した信念を持っている人であります。
たとえそれは俗情のものであっても。それから中年後になって活動を開始したという人は、そのときはじめて何らかの信念を握った人で、それまでは自分の力だけで、自分の工夫だけであくせくしていたのであります。まして正道の信念を得た人の活動力は素晴しいものであります。
それでは、自分だけの普通の力とか、自分の工夫努力は全然不必要かというと、これはまた、本当の飽くまで生き抜く力を知らない人の言うことであります。飽くまで生き抜く力を仰ぎ得た人は、その大きな力の中へ、自分の力も、工夫努力もみんな籠めてしまうのであります。
自分の普通の力、工夫努力が多ければ多いほど、飽くまで生き抜く力を引っ張り出すのに、それだけ余計に沢山の力を利用することが出来るのです。
かくて、ひとたび信念によって生き出したものは、実はどこまでが仰いだ力でどこまでが自分の普通の力なのか、区別がつかなくなるのであります。
仰ぐ力と、信念と、自分の力と、この三者は、時に円融し、時に鼎分(三つに分れること)し、そこに反省あり、三昧境あり、以て一歩一歩、生きる力の増進の道を踏み拓いて行くのであります。
そこに信念生活の妙味があるのであります。
-切抜/岡本かの子「仏教人生読本」より
憂きことのなほこの上に積れかし 限りある身の力試めさん
-山中鹿之助
飽くまで生き抜く力と言っても、朝から晩まで肩肘張って力んでいることではありません。相手や、場合によってそうしなければならないこともあるでしょうが、始終そうやっていては誰だってくたびれてしまいます。
人間は一面、ゴムの紐と同じようなものであって、あまり長く緊張し続けるとのびてしまいます。
若い時、かなり激しい気性の人で、活動し続けて来たのが、老後になってぽかんとしてしまったという老人など、たまにみなさんの周囲にお見受けになりませんか。
そうかと思うと四十過ぎまでは、何の存在も認められなかった人が、中年からそろそろ活動を始め、老境に入るに従っていよいよ冴えて来たという人もあります。
それからまた、若い時から忙しい生活をし続け、一生それを押し通し、老いてますます盛んな人もあります。
以上三つの型に人間の生涯が区別されます。
これはどうしてでしょうか。一つは気魄や、体質により、一概にも言われませんが、概して、人間のうちにある「飽くまで生き抜く力」というものを、信仰とか信念とかで掴んだ人が活動が続くようです。
終日語って一語も語らず。終日行じて一事も行ぜず。
いつも青年の気を帯び、老いてますます盛んな人をよく観察して御覧なさい。必ず何らかの一貫した信念を持っている人であります。
たとえそれは俗情のものであっても。それから中年後になって活動を開始したという人は、そのときはじめて何らかの信念を握った人で、それまでは自分の力だけで、自分の工夫だけであくせくしていたのであります。まして正道の信念を得た人の活動力は素晴しいものであります。
それでは、自分だけの普通の力とか、自分の工夫努力は全然不必要かというと、これはまた、本当の飽くまで生き抜く力を知らない人の言うことであります。飽くまで生き抜く力を仰ぎ得た人は、その大きな力の中へ、自分の力も、工夫努力もみんな籠めてしまうのであります。
自分の普通の力、工夫努力が多ければ多いほど、飽くまで生き抜く力を引っ張り出すのに、それだけ余計に沢山の力を利用することが出来るのです。
かくて、ひとたび信念によって生き出したものは、実はどこまでが仰いだ力でどこまでが自分の普通の力なのか、区別がつかなくなるのであります。
仰ぐ力と、信念と、自分の力と、この三者は、時に円融し、時に鼎分(三つに分れること)し、そこに反省あり、三昧境あり、以て一歩一歩、生きる力の増進の道を踏み拓いて行くのであります。
そこに信念生活の妙味があるのであります。
-切抜/岡本かの子「仏教人生読本」より
憂きことのなほこの上に積れかし 限りある身の力試めさん
-山中鹿之助