(photo/source)
世阿弥が残した「初心忘れるべからず」は「始めた時の初々しい気持ちを忘れないように」という意味で理解されています。
ただ、世阿弥は「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味で「初心」を用いました。
「初心忘れるべからず」とは「恐れず変化し続けなさい」ということです。でも自ら進んで過去の自分を断ち切るなんて、なかなかできることではありません。だからこそ、世阿弥は能楽師が初心と向き合う仕組みを作った。それが「披(ひら)き」です。披きとは、師匠が弟子に、それまでのやり方であれば絶対にできないであろう演目を「やってみろ」と命じることです。
実際に公演日が設定されているので逃げるわけにはいかない。でも、今の自分ではできそうもない。そういう演目を課されるのです。新しい演目を演じるには動きから考え方まですべてを変える必要があります。朝から晩まで一人で稽古して、疲労のあまり吐いたこともありました。今から振り返れば、そこまで自分を追い込めたからこそ、次のステージにうつれたのだと思います。
世阿弥は「初心忘れるべからず」の後に、こう続けています。
「安心して切りなさい。大事なものはちゃんと残っているから」と。
-安田登(能楽師)
Yamabushi (Noh music set to Shugendo imagery)
世阿弥が残した「初心忘れるべからず」は「始めた時の初々しい気持ちを忘れないように」という意味で理解されています。
ただ、世阿弥は「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味で「初心」を用いました。
「初心忘れるべからず」とは「恐れず変化し続けなさい」ということです。でも自ら進んで過去の自分を断ち切るなんて、なかなかできることではありません。だからこそ、世阿弥は能楽師が初心と向き合う仕組みを作った。それが「披(ひら)き」です。披きとは、師匠が弟子に、それまでのやり方であれば絶対にできないであろう演目を「やってみろ」と命じることです。
実際に公演日が設定されているので逃げるわけにはいかない。でも、今の自分ではできそうもない。そういう演目を課されるのです。新しい演目を演じるには動きから考え方まですべてを変える必要があります。朝から晩まで一人で稽古して、疲労のあまり吐いたこともありました。今から振り返れば、そこまで自分を追い込めたからこそ、次のステージにうつれたのだと思います。
世阿弥は「初心忘れるべからず」の後に、こう続けています。
「安心して切りなさい。大事なものはちゃんと残っているから」と。
-安田登(能楽師)
Yamabushi (Noh music set to Shugendo imagery)