南無煩悩大菩薩

今日是好日也

死生感。

2005-01-15 | 日日是好日。
月日は百代の過客にして 行きかう人もまた 旅人なり。

露と落ち露と消えにし 我命 なにわのことも 夢のまた夢。

もっと光を!

生れ落ちた時から 生きとしものはすべて 死に向かって生きている。

災難に逢う時節には 災難に逢うが良く候。
死ぬる時節には 死が良く候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。

惑って一生。悟って一生。

いま死んだ どこにも行かぬ ここにおる たずねはするな ものは言わぬぞ。

生病老死 苦にあらず。

先達が持った死生感を頼りに 己の死生感を紐解き得心する作業は、生きているということから 逃れられない作業であろう。

じっさまは、逝ってしまった後に 笑顔の印象を残してくれた。

そこに居たものが居なくなる。ということは、後に必ず何かの印象を残す。
どのような印象が後に残るのだろう。死生感の影響は大きい。
いつ来るのか?どのように来るのか?死と生の間に横たわる出来事への対応。
現実に際してしどっちに転ぶかわからないものに 対応しようとする 壮大な準備。しせいかん。

南無煩悩大菩薩。
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知足。

2005-01-14 | 日日是好日。
足るを知る。

もっともっともっともっともっと。もっと。

もっと力を。

もっと愛を。

もっと金を。

もっと。もっと。

あれがほしい。これもほしい。

あっちがいい。こっちもいい。

ええかげんにしなさい!

上品か下品かの差は、己の足るを知っているかどうかに由来する。

今あるものでも満足できる優雅さ。
自分の未熟さをわきまえてる落ち着き。

金も運も愛も追えば逃げていくから、不思議です。

あればあるなりに、なければないなりに物事を捉えるところに味がでてきます。

今の自分に見合ったものしか、手に入らないものです。
それ以上を望むと必ず不都合を生じますな。

それは、必要なのか?それとも欲しいだけなのか?

ちそく。
ちゃんと自己査定できる人。上品です。

どうしても酒には足るを知れないわたし。
南無煩悩大菩薩。
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さよなら。について。

2005-01-13 | 日日是好日。
先生。さようなら。

みなさん。さようなら。

勉強が嫌いな僕は、さようならの後に控える遊びに夢中で、この瞬間が大好きだった。

さよならだけが人生だ。といったのは確か寺山修司さん。

以前の現実と以降の可能性の中間に位置するもの。が さようなら。

ピリオドを打ち、新たな歩みへ向かうもの。句読点。


中学に入ると、小学生にさよなら。
就職すると、援助生活にさよなら。
結婚すると、独身生活にさよなら。
厳しい立場になると、甘えにさよなら。

みんなそうして、成長するんですな。

さようなら。その後に来るこんにちは。
しっかり挨拶が出来る人。元気良く言える人は、きっと元気良く屈託なく生きてる人だろう。

選択するさよなら。不可抗力のさよなら。強制するさよなら。
意思の確認。気持ちの整理。

あんさんは、あっちでっか。わては、こっちですわ。
パンツの屁ですなぁ。右と左に泣き別れちゅうて。ほなさいなら。

こんにちは。さようなら。経験というものの一里塚。

南無煩悩大菩薩。
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喫茶去。

2005-01-12 | 日日是好日。
ようおこしやす。
さ。お茶でもどうぞ。

えらい怒ってはりますなあぁ。
ま。のど潤して落ち着きなはれ。

どないしましたん?泣いてるんちゃいますか。
ほれ。一杯飲んで。

外は寒かったでしょう。
暖かいの入れますね。

きっさこ。

人としてのおもいやり。

人には色々な事情がある。
相手が誰であろうと、等しく接し、等しく「お茶でもどうぞ」と同じ茶を勧め喫するところに、思い至りが生じる。つまりどんな人間に相対するときも、この心構えを忘れないところに、人間関係の円滑化を進めるコツがある。卑屈にならないコツがある。

喫茶去。
お茶だろうが酒だろうが珈琲だろうが水だろうが同じこと。

偉い人も 弱い人も 金持ちも 貧乏人も 男も 女も 若い人も 年寄りも 綺麗な人も へちゃむくれも デブもハゲもヤセもチビも こうまんちきもすっとこどっこいも 左右されない平等心。

きっさこ。の教え。

南無煩悩大菩薩。
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不易流行。

2005-01-11 | 日日是好日。

不易を知らずば 基たちがたく
流行を知らずば 風新ならず

不易とは 何がどうあろうと変わらないなにか。
流行とは 変わる事でパワーを持つなにか。


人間の脳の構造や重さはみな同じ過程を経て成長する。
人類の器官は、眼が二つ。鼻で呼吸をし、口でものを食べ、耳で聞く。両手両足を持ち、生殖機能はお互い股間にある。言葉は国・地域によって違うものの、文字や音を伝達手段にし、名詞と動詞、それを補う助詞による文法は同根である。
等等、我々が同じ器官形態を有する以上、同じような世界観の中で生きていることは明らかだろう。


不易と流行とはそういうところに潜んでいそうだ。

変えてはいけないもの と 変わり続けなければいけないもの

ちょいと乱暴ではあるが、不易とは抽象的概念で、流行とは具体的概念と言い換えられないか。

感性においては、抽象的でしか表現できない具体性や、
具体的に表現した抽象が、より説得性を持つ場合も多い。

インスピレーション。
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時。

2005-01-09 | 日日是好日。
淡々と。

粛々と。

平等に。

とき。


光より速いスピードで移動すると、時間はゆっくり過ぎるという相対性理論なるものがある。
楽しい時間は早く過ぎるという、心の相対性がある。

時間というものと時の感覚。

時間の過ごし方。時の配分。量と質の関係。

淡々と。

粛々と。

平等に。

時。

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えべっさん。

2005-01-08 | 日日是好日。
商売繁盛!笹もってこい!

明日は宵戎(えびす)。商売の神様。大阪は今宮神社の十日戎ですわ。
福福福福福。3日間で100万人が福を貰いに集まりまっせ。
儲かってはる人も、そうでない人も、縁起のもんでっさかいに、そりゃ熱気ありますわ。
わてでっか?残り福でも貰いにいけたら行こう思うとります。


恵比寿天。大阪ではえべっさん言いましてな神様が友達になりますのや。
親しみやすいでっしゃろ。
これが標準語やと えびすくん。とかえびすちゃん。えびすさん。になって、まぁ。こう。堅苦しいっちゅうか、なんぞ漫画に出てきそうでどうもしっくりきませんな。


笹は、竹の先でっしゃろ。竹は繁殖力旺盛やし、年中青々として衰えを知りませんわな。しなやかに強靭でめったに風なんぞで折れたりもしません。その成長力も驚異的でおま。
この竹のごりやくも頂こうということで、商売繁盛!笹持って来い!ちゅうわけですな。

なんか。こう書いているだけで、福がやってきそうな気がするから不思議でんなぁ。

え!ほんまにご利益あるんかいって?

あほなこと聞いたらあきませんがな。
あるかどうかは、あるまで商売励まなわかりゃしません。
わてら、商売に励むために、神さんに元気貰いに行きますのや。

今日も行きまっせ。
商売繁盛!酒(ささ)もって来い!
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将来。

2005-01-07 | 日日是好日。
なぁ ぼく。 しょうらい なんになりたい?

ん~ん。  乞食!

なんでやねん!?

でもな。おめぐみください っていうのはいやなんや。
めぐんだろかいな。いやめぐみたい!って人に言われるような乞食がええ。
スーツ着てな革靴ははいてな。ちゃんとクロコダイルの皮の鞄かてもってるんや。
人の前で演説なんかもしたりする 乞食になりたいんや。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・。

オッちゃんの負けやな。・・。


5年後どうなるか。10年後は?
そんなことは分からない。唯、分かりそうなことに気付いたらほっとかないで対処する。
その積み重ねで将来はやってくるようなきもしまんなぁ。そう 気付けばすぐ!
ふだんはぼんくらでも ここぞ!というときに 気付き行動すると将来も開けるであろうと信じて。

老いるのは唯肉体のみに過ぎない。

南無煩悩大菩薩。
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忘れないということ。

2005-01-06 | 日日是好日。

おやじが 戦争に行ってる頃 僕はまだ精子にもなっていなかった。

数十億の競争を僕が勝ち抜き、やっと卵子が着床した頃 ケネディは暗殺され右か左かでポリシーが揺れている中 日本は高度成長上り坂であったらしい。

突き進む経済成長は、公害という害を作り多数の犠牲者を出していた。公害ならばおおやけの害であろう。おかみの保護が受けられそうなものだが、なぜか大きな訴訟が起こっていた。

戦争も経済も犠牲者は付き物だと誰かが言ったような気もする。

勝負は下駄を履くまでわからねぇ。という口癖は、確かロシアと戦った祖父の戦友だった。

やがて成人し世の中の仕組みがなんとなく分かりはじめた。

幸福感。達成感。存在感。人というもの。政治というもの。社会というもの。

あくまでも自分の取捨選択においてであることは言うまでもない。

忘れたこと。無視してきたこともいっぱいあるだろう。

忘れないということは それらを潜り抜けてきた事である。
それそのものが価値観を形作っているのだろう。知らず知らずにも。

忘れない歴史。忘れない約束。忘れない恩。
どれを忘れて どれを忘れないのか。
それこそが個人を誰でもない唯一無二の個人とならしめている。

忘れない。ということ。
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脱構築。

2005-01-05 | 日日是好日。

頭が先で 尾が尻尾。

と大体は決まっている。

この 大体とか 大概とか 以前はとか 普通はとか

順番とか 標準とか 外枠とか 

これがクセモノ。


構築とは、構成し築くもの。
一度この概念をぱっと放り投げてみちゃったりするのが自分なりの脱構築。



リ・ストラクション re-struction は再構築。
ディス・コンストラクション dis-constracution が脱構築。

構築するための材料に事足りているなら、その中で再構築リストラを行えば十分かもしれない。
それは手法の問題だから。
しかし、何かが足りなかったり、築くことそのものが誤ってる場合だって一生には多いにあるだろう。


組織の構築、建造物の構築、事業の構築、精神性の構築。関係性の構築。
造ろうとしても繕うだけのこともある。 できるものとできないもの がある。
勝手に出来上がるものも多い。一目ぼれとか。うまが合うとか。

考えあぐねたら 脱構築。思考の整理。

構築すること。そのものを 脱する こと。
間違ってるかもしれない 正しさ を捨てること。


理解されない喜びだってあるだろう。
評価されない楽しみもある。
結果の出ない努力もある。
交わらない関係だって必ずある。

ならば。
尾っぽに目と口があって何が悪い。
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陶然遺萬累。

2005-01-04 | 日日是好日。
なんのことはない。

いやなことを全部忘れる。

ということ。


萬累の遺されたものに陶然とする心境。


もう少し上達すると いやなことそのものがない。

というような仙境に至る。

私なんかは、さっき食った昼飯さえも食ったかどうか定かではない。

なんでもすっきり忘れた。

これは仙境ではなく 酔狂もしくは老境であるか。


どちらにしても達磨は再び立ち上がる。
七回転んでも八回起きりゃいい。福達磨。
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うつつ。

2005-01-03 | 日日是好日。
現実には二通りあるらしい。

一つには あるがまま の現実であり

もう一つは のぞましい 現実。

私達が 足がかりにするのは

いつも 望ましい現実に対して であることが多い。


正月三が日の時間はゆっくりと過ぎる。空気も透き通っている。なぜか天地自然が新たな様子を呈している。・・などと見るのは、あきらかに望ましい現実を私は見ているのだろう。

ゆめか うつつか まぼろしか

精神や心にとっての 望ましい状態。
ポジティブ・シンキング。
あるがままの現実を豊かにするのは、望ましい現実を大いにイメージすることだ。

どちらにしても 三が日というのは 望ましい現実過ぎる。
ある種の アルがまま である。


-自分- 
小鳥が枯枝にとまっている
自分がとまっている
見れば 見えるものは 皆自分である
聞けば 音はみなじぶんである
-高橋新吉-


南無煩悩大菩薩。
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燐寸。

2005-01-02 | 日日是好日。
日本の近代化を支えた輸出品の主力の一つであったのが、無燐マッチ。
デザインも多種多様で世界中に流通していた。そのシェアは90%以上であったという。
殖産興業のエリートも、今では探すことさえ難しい。
鶴丸。あたりや。ABCに桃。このあたりがかろうじて、実用品として流通している。

メイド・イン・ジャパン。

この日本で生まれ育った、世界に認められる品質。グローバルスタンダードとしての大量生産された工業製品のトップランナーであったに違いない。と私は思っている。

敬意と実用を兼ねて、私はマッチを使う。
しかし最近はどうも軸がすぐ折れるし、爪楊枝としても強度に欠ける。耳堀としての機能は変わらないようだが・・。

この写真は、ある友人から戴いたもの。
先の時代の燐寸の多種・多様性が垣間見えると思う。

私の愛用は 鶴丸 である。鶴丸には、以前こう書かれていた。
「愛され、信頼され、親しまれる」
その字を見ながら、私はよく考えさせられた。
「親しまれてこそ、信頼に値できる。信頼されないうちは、愛なぞ生まれない」
と。今はもう書いていない、鶴丸の理念である。

さて。今年の書初めは、なんにしようかいな。
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鯉に乗る。

2005-01-01 | 日日是好日。
至道無難。唯揀択を嫌う。
-しどうぶなん ただけんじゃくをきらう-
素晴しいと感じられる境涯に至るのは難しいことではない。ただ、選り好みをしないことだ。
と言う。



ため池の鯉は ゆったりと泳ぐ。ぱぁくぱく と。
そこに滝があれば一転、瞬時・機敏・俊敏に、跳躍し滝を登る。
強靭な鯉 道を極めた鯉は やがて龍に昇華するという。

泳ぐ姿は必然だ。うわの空のことではない。
是が非でも 泳がないではいられない姿で泳ぐ。

鯉に乗る。



また新たな1年が始まりやんした。
心願成就。
悪難退散。
至道無難。
ぱん!パン!

南無煩悩大菩薩。
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