南無煩悩大菩薩

今日是好日也

サンザンカ。

2009-12-10 | 有屋無屋の遍路。

え~、
当社は業界の発展と社会への貢献を第一に考え、
コンプライアンスを徹底し、改革の痛みなくして成長なしを合言葉に、
友愛の精神で、社員の幸せを最優先し、
顧客によりよいサービスをお届けする為、
こだわりをもって、双方向のソリューションを提供することが、今後の大きな目標であります。


・・・・。


なにゆうてるかまったくわからん。


自分で適当に思い浮かんだことをでっち上げてみて、あなたの重要な得意先の決裁権者や、あなたのボスやリーダーなどの、最近聞いたスピーチがそれに似すぎていると感じたら、今の付き合いを考え直した方がいい。

大して何も考えずにその地位に辿りついてきた可能性は高い。

つまり、ナンセンスのジョークなのである。


サンザンナ目に逢う前に。

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まばたき。

2009-12-09 | 有屋無屋の遍路。

人はこの瞬間を肉眼において明確には捉えられない。

コンマ数秒、またたく間に消える実体。

時間を引き延ばしてみよう。

10年という歳月を単位とすれば、1時間にも満たない間の出来事。

私たちはまばたきをする。それはその瞬間の連続というある期間を一本の線の様に見てはいないと言うことを意味する。

厳格には、間の抜け落ちた、点線のようにしか見る事は出来ない、

カメラという機械の力によって切り取り抽出したこの瞬間を見て、「なんだかこのようである」と言う認識において、その状態を記憶に残す。

もし私たちがある事象を連続的にみて厳格に記憶する生き物であったなら、世界はきっと全く違ったもの、様相を呈し、私たちはこんなに鷹揚かつ長命ではないのかもしれない。



ゆ~くりと、僕はまばたきをしてみる。

10年の一年、一年の一日、一日の中の一時間・・・。

僕は何を見、何に目を瞑ったか。

何をどのように記憶し、何をどのように無視してきたか。


次に僕は矢継ぎ早にまばたきをしてみる。

・・・・・。

チカチカしてきた。

だが、小さな瞬間がより鮮明に見えた気もする。

僕は何に集中してきたのか。



物理的なまばたきの試行に過ぎないのだが、物理的な行動や存在が、いままで僕に与えてきた影響はきっと大きい。


まばたくまに月日は過ぎる。とはよくいわれる。

またたくまというものの、僕の点線がどのような点形であり、実線をなぞってきたのか、その実像のようなものを受け入れる用意をそろそろしなければと、思うようになった。


しかし。よくよく考えてみると、僕は一体そのうちの何を知っていると言えるのかという疑問に突き当たるのである。

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南天に託す。

2009-12-07 | つれづれの風景。

赤い実が露に祝福されている。

福寿海無量。

無数の露は、河の母

河は流れて大海に至り、無量の露の母に還る。

その雲母、南天に登る。


露と成り露と落ちし露なれば その福寿は無尽成り。

神々しくも赤き身が 輝いている。
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哲学的でないもの。

2009-12-05 | つれづれの風景。

お。またヘリコプターが飛んでるやないか。

腹ヘリコプターは前にもやったからなんや違うもん思い浮かべないかんなぁ。

空は広いなぁ。海はもっと広いらしいけど。


あ。せや。

まず、この大空について考えてごらん。
そしてあなたのお腹から出る、ちっちゃな屁について考えてごらん。
その屁の無限大が大空では雷なんだ。
というのも、雷もおならも、原理的には同じであるからだ。
-ソクラテス-


非常に苦しいので、このへんで許してもらってわしも、

屁ひりこぷたー。

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飛び立つ。

2009-12-04 | つれづれの風景。

烏が飛び立つ。

人は鳥から飛ぶこととは何かを学んだ。

それはどうやって飛んでいるかではなく、飛べることの意味、つまりは航空力学を学んだのだ。

我々と基本的に違うものから、同じ「こと」を産みだす為には、同じことをしていてはだめだということだろう。

うわっつらだけをみて、出来る気になっているような認識では、何においても成果はおぼつかない。

いくら羽を研究して、バタバタやってもだめなのだ。


できることなら、わたしも飛んでみたい。

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念願の風景。

2009-12-03 | つれづれの風景。

神社の鳥居の上に石がのっている。

ふたつふたつのカップルで意志がのっている。

向かい合ったりそっぽをむいたりの。

願掛けて放り上げられ留まりしいしがのっている。




お寺の柵に念が巻かれている。

ぎっしり固く念が蒔かれている。

きょうは小から中、末は大をきちっと結んでいる。


知る術もない、無限の念願を目の当たりにし、私は少し優しくなれる。
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まとう。

2009-12-02 | つれづれの風景。

思いはまとわりつく。

うまくいかないのじゃないか。風邪を引くんじゃないか。不能になるんやないか。本当は違うんじゃないか・・・。

あたし達はある事象に対して、イメージで以って色々と勘ぐる。

たとえば、「カバがおおあくびしている姿を思い出さないで下さい」

と言われたら、思い出さないではいられない。

肯定にしろ否定にしろ、何かを思えばそれは現実的なものとして、あれこれイメージしてしまう。

本当の現実には起こっていないことであっても。

要するに、自分自身の「捏造」によって、盲目になる癖を持つということのようだ。

汚れたり、傷ついたり、悩んだりするのは、ありのままを、身勝手にねじまげて自分で現実を作り上げてしまっているからかもしれない。

意識するだけで招いてしまうイメージがある。

イメージが、現実を本当に引寄せてしまうこともある。

思い続ける。そのことには信念が必要だ。
思いをやめる。そのことには勇気を要する。

まとわりつく思いの、事業仕訳があたし達にも必要なようだ。

世のつれづれに、すっきりと気持ちよく舞う為の、いさぎよさを身につけたいとの思いははてなし。


落葉が美しくまとうのは、赤く染まったまんまの自分(葉っぱ)は、だから汚れてもいないし、傷つくこともないというメッセージだ。




うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ。
-良寛さん-

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しわす。

2009-12-01 | 酔唄抄。

一年は速い。

そんなことをいっていたら、酒場で一緒になる人生80数年を数える大先輩がつぶやいた。

「速い速いと思えるのは若い証拠です」と。


そういえば、これもあるご同輩に酒場で教えられた。

加山雄三さんの「君といつまでも」でも言っていると。


「しわすだなぁ 僕は君といるときが一番しわすなんだ」


今年もあとひと月で呑み収め。
コメント (2)
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