(gif/Billie Holiday, 1936)
Tonina Saputo - Historia de un amor (Berklee Mediterranean Music Institute Session)
夢でもし逢えたら
Tonina Saputo - Historia de un amor (Berklee Mediterranean Music Institute Session)
夢でもし逢えたら
(illustration/Hiroshi Masumura)
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
100 dreams
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
100 dreams
(画像/三酸図)
「孔子様、この人は偉い人だよ。あるときにね、カンタイという人が、孔子様を憎んで、斧で斬り殺そうとしたのさ。ところが孔子様は、-私は天から徳を授かっておる。さてカンタイよ私をどうする-とおっしゃって、泰然自若として座っていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変えて逃げたのだそうな。それからずっと後に、ワウモウという人があったのだよ。ある時に黄巾の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、-私は天から徳を授かってる。さて黄巾の賊よ私をどうする-と言ったが、その言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちていたそうだ」
「老子様は、おっかさんのお腹(なか)に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪がまっしろで、歯が抜けていたのだって」
「誰だれだって産れた時は、歯が無いんですよ」
「悉達太子というのは、中天竺マカダ国、浄飯王のお子様で、カビラ城にいなすったのだが、あるとき城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとって、病気になって、そして死ぬのかという事を考えたのです。(生れて老人になつて病気になって死ぬ)どうしても其のわけが解わからない、人間が老人にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考えたが、わからないので、とうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山という所へ行って、アララ、カララという仙人について、何年も何年も修行した末、やっと、わけが解ったのです」
「どんなに解ったのですか。」
「生れなかったら……生れなかったらいいんですよ」
「生れなかったら」
「生れなかったら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解ったので、悉達太子様は、今にお釈迦様と云って尊敬されるのです」
「イエス・キリスト様というのは、此の人もお釈迦様と同じように、ダビデ大王という偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になって、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人にそねまれて殺されたのです」
-そしてこの四人の聖人が一緒に同じ壺の酢をなめた-
「お待ちなさい。笑い話ではありません。孔子様は、この壺の中のお酢をなめてみて、これは酸っぱいと申しました。すると老子様は、酸っぱいものを酸っぱいというのはそれは常識である。しかしよく味わって見ると、このお酢は少しく淡い。水っぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、酢を酸っぱいというのは道理だ。酸っぱいものが少し淡いと云うのももっともだ。しかし、よくよく味わってごらん、このお酢には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、酢は酸っぱいものだ。それにこの酢は淡い。水っぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけているのだ。これはぶちまけて、新しくつくり直すがよい。と、申しました。諸君、そもそもこの四聖の言葉は……」
(引用/沖野岩三郎「愚助大和尚」より)
さて、・・・・・のあと、そもそものはなし。
「孔子様、この人は偉い人だよ。あるときにね、カンタイという人が、孔子様を憎んで、斧で斬り殺そうとしたのさ。ところが孔子様は、-私は天から徳を授かっておる。さてカンタイよ私をどうする-とおっしゃって、泰然自若として座っていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変えて逃げたのだそうな。それからずっと後に、ワウモウという人があったのだよ。ある時に黄巾の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、-私は天から徳を授かってる。さて黄巾の賊よ私をどうする-と言ったが、その言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちていたそうだ」
「老子様は、おっかさんのお腹(なか)に、七十年居たのださうな。だから産れた時、もう髪がまっしろで、歯が抜けていたのだって」
「誰だれだって産れた時は、歯が無いんですよ」
「悉達太子というのは、中天竺マカダ国、浄飯王のお子様で、カビラ城にいなすったのだが、あるとき城の外を通る老人を見て、人間はなぜあんなに、年をとって、病気になって、そして死ぬのかという事を考えたのです。(生れて老人になつて病気になって死ぬ)どうしても其のわけが解わからない、人間が老人にもならず、病人にもならず、死なない方法はないかと考えたが、わからないので、とうとう太子様はお城をぬけ出して、雪山という所へ行って、アララ、カララという仙人について、何年も何年も修行した末、やっと、わけが解ったのです」
「どんなに解ったのですか。」
「生れなかったら……生れなかったらいいんですよ」
「生れなかったら」
「生れなかったら、年もとらず、病気にもかからない。死にもしない」
「何だい、そんな事……」
「だつて、それだけの事が、人間にはなかなか、わからないんだよ。それが本当に解ったので、悉達太子様は、今にお釈迦様と云って尊敬されるのです」
「イエス・キリスト様というのは、此の人もお釈迦様と同じように、ダビデ大王という偉い王様の子孫でしたが、ユダヤ国の王様にならないで、貧乏人や病人のお友達になって、親切を尽したので、何にも悪い事をしないのに、悪い人にそねまれて殺されたのです」
-そしてこの四人の聖人が一緒に同じ壺の酢をなめた-
「お待ちなさい。笑い話ではありません。孔子様は、この壺の中のお酢をなめてみて、これは酸っぱいと申しました。すると老子様は、酸っぱいものを酸っぱいというのはそれは常識である。しかしよく味わって見ると、このお酢は少しく淡い。水っぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、酢を酸っぱいというのは道理だ。酸っぱいものが少し淡いと云うのももっともだ。しかし、よくよく味わってごらん、このお酢には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、酢は酸っぱいものだ。それにこの酢は淡い。水っぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけているのだ。これはぶちまけて、新しくつくり直すがよい。と、申しました。諸君、そもそもこの四聖の言葉は……」
(引用/沖野岩三郎「愚助大和尚」より)
さて、・・・・・のあと、そもそものはなし。
(画/龐居士、霊昭女図屏風-見立久米仙人-)
私は久米の仙人が好きだ。好きだといって、何も交際ぶりが気に入ったとか、酒の上の話が合ったとかいうのではない。不思議な仙術を得て、あちらこちらと空を駈けずりまわる途すがら、そこいらのかわっぷちで洗濯女の白い脛を見て、急に地面に落ちたという、あの言伝えが気に入ったのだ。
もしか私が仙人のような羽目になったとして、ああした白い女の足を見たのでは、どうしても落ちて来そうに思われる。いや落ちて来そうなのではない、落ちて来た方がよいのだ。実際仙人が落ちて来たのは、何もあの人の道心が浅かったとか、また今時の教育家のいう性教育とやらを受けなかったとかいう訳ではない。――全く見逃す事の出来ない偉い心の変化なのだ。
久米の仙人は空を飛ぶものの用意として、雀のように質朴な考へを持たなければならない事も知っていた。鶲(ひたき)のように独りぼっちで居なければならない事も知っていた。鷦鷯(みそさざい)のように塩断ちをしなければならない事を知っていた。それからまた雲雀のように唯もう高いところに心を繋がなければならない事も知っていた。――こういう事は何もかもそっくり知っていたには相違ないが、(というのになんの不思議があろう、知っていたからこそ空も飛べたのだ)その知っていたのは、空でも飛ばうというものは、そうしなければならないという、これまでの言伝えをそのまま信じていたに過ぎなかった。
で、仙人は空を飛んだ。砂漠のような乾いた空をあちこちと飛び歩いて、こうして高く揚る事の出来た心掛を、独りで得意がっていると、ちょうどその足もとの久米の里では、小川の河っ縁で濯ぎ物をしている女がある。女は著物の裾をやけにたくしあげているので、ふっくりと肥えた脛がよく見える。
それが眼にとまると、これまで押えに押えた仙人の感覚は、蠍のように眠りから覚めて、持前の鋭い刺激を回復した。そして新しい弾力で一杯になったその肉体は、干し葡萄のように萎びきった霊の高慢くさいのを嘲笑った。
霊は黙ってその侮辱をうける他はなかった…………と思うと、久米の仙人は羽茎を打たれた鳥のように、もんどりうって小川の河っ縁に落ちて来た。その刹那に新しい価値の世界の薄明が、かすかに動いたに相違ない。
ニイチェのツァラトゥストラは 、心の三段変わりという事を説いた。心が重い荷物を背負って駱駝となって砂漠の旅に出た。寂しい旅の半程で、駱駝は急に獅子と変化し、これまで主人として仕えた大きな龍と闘った。
龍の名は“Thou shalt”獅子のは“I will”というのだ。両個は従来龍の持っていた『物の価値』について、ひどい取っ組合いをした。実際獅子にはまだ『価値』を創り出すだけの力量は無かったが、やがてそれを創ろうといふ『自由』を産むだけの力は十分あった。とかくする間に獅子はまた小児に生れ変った。小児は価値の出発点で、立派な肯定だ。新しい世界はここから始まるというのだ。
久米の仙人は女の脛を見た刹那、ニイチェの言った新しい獅子へと変化していたのだ。そして自分を乾いた空へ引張りあげた龍と争って、また地面に落ちて来た。私は次の刹那に、仙人がも一度第三の変化を遂げたかどうか知らないが、その胸に育まれた自由の思想は、やがて新しい価値の世界を発見せずにはおかないのだ。
元亨釈書の謂うところによると、釈理満とかいった河内産れの坊主は、わざわざ性慾を絶とうとして、陰萎の薬を飲んだそうだ。なんという気の毒な事だ。人間はどんな場合にも無駄な空想に駆られて、生活の力を自分で殺ぎ取ったり、別々に働かせたりしてはならない。身体のどの部分にも絶えず新しい力を波立たせ、それを生命の奥でひっくくって、よい機を見はからっては、自己を拡大し、充実する生活へ飛躍を試みなければならないのだ。
釈理満はこうして性慾の煩いを絶ってから、一心に法華を誦んだお蔭で、佛陀が涅槃の同じ日に息を引き取ったそうだが、そんなにまでして往生の素願を遂げようとも、折角内から燃えて来る焔を自分で塞いでしまったのでは、その生活は何処かにがらんどうのような空所があったに相違ない。それに比べると、久米の仙人の生活には充実があった。弾力があつた。その生命は永久に若返って、私達の生活に脈打っている。
女の脛を見て空から落ちた人――私は久米の仙人を思うと、沼水の底から、自分の茎を引切ってまで、水上の雌花に寄り添ってくる セキショウモ の花を思ひ出す。また、わが脚のちぎれるのも厭わないで、生殖腕を雌の外套膜に投げこむ蛸舟の雄を思ひ出す。
こういう全人格の底の底から震い動く衝動には、どうかすると、自己を破滅に導かないではおかぬ飛躍がある。それがそうあろうと構うことはない。自己の破滅はやがて新しい価値の発見である。
-薄田泣菫「久米の仙人」より
私は久米の仙人が好きだ。好きだといって、何も交際ぶりが気に入ったとか、酒の上の話が合ったとかいうのではない。不思議な仙術を得て、あちらこちらと空を駈けずりまわる途すがら、そこいらのかわっぷちで洗濯女の白い脛を見て、急に地面に落ちたという、あの言伝えが気に入ったのだ。
もしか私が仙人のような羽目になったとして、ああした白い女の足を見たのでは、どうしても落ちて来そうに思われる。いや落ちて来そうなのではない、落ちて来た方がよいのだ。実際仙人が落ちて来たのは、何もあの人の道心が浅かったとか、また今時の教育家のいう性教育とやらを受けなかったとかいう訳ではない。――全く見逃す事の出来ない偉い心の変化なのだ。
久米の仙人は空を飛ぶものの用意として、雀のように質朴な考へを持たなければならない事も知っていた。鶲(ひたき)のように独りぼっちで居なければならない事も知っていた。鷦鷯(みそさざい)のように塩断ちをしなければならない事を知っていた。それからまた雲雀のように唯もう高いところに心を繋がなければならない事も知っていた。――こういう事は何もかもそっくり知っていたには相違ないが、(というのになんの不思議があろう、知っていたからこそ空も飛べたのだ)その知っていたのは、空でも飛ばうというものは、そうしなければならないという、これまでの言伝えをそのまま信じていたに過ぎなかった。
で、仙人は空を飛んだ。砂漠のような乾いた空をあちこちと飛び歩いて、こうして高く揚る事の出来た心掛を、独りで得意がっていると、ちょうどその足もとの久米の里では、小川の河っ縁で濯ぎ物をしている女がある。女は著物の裾をやけにたくしあげているので、ふっくりと肥えた脛がよく見える。
それが眼にとまると、これまで押えに押えた仙人の感覚は、蠍のように眠りから覚めて、持前の鋭い刺激を回復した。そして新しい弾力で一杯になったその肉体は、干し葡萄のように萎びきった霊の高慢くさいのを嘲笑った。
霊は黙ってその侮辱をうける他はなかった…………と思うと、久米の仙人は羽茎を打たれた鳥のように、もんどりうって小川の河っ縁に落ちて来た。その刹那に新しい価値の世界の薄明が、かすかに動いたに相違ない。
ニイチェのツァラトゥストラは 、心の三段変わりという事を説いた。心が重い荷物を背負って駱駝となって砂漠の旅に出た。寂しい旅の半程で、駱駝は急に獅子と変化し、これまで主人として仕えた大きな龍と闘った。
龍の名は“Thou shalt”獅子のは“I will”というのだ。両個は従来龍の持っていた『物の価値』について、ひどい取っ組合いをした。実際獅子にはまだ『価値』を創り出すだけの力量は無かったが、やがてそれを創ろうといふ『自由』を産むだけの力は十分あった。とかくする間に獅子はまた小児に生れ変った。小児は価値の出発点で、立派な肯定だ。新しい世界はここから始まるというのだ。
久米の仙人は女の脛を見た刹那、ニイチェの言った新しい獅子へと変化していたのだ。そして自分を乾いた空へ引張りあげた龍と争って、また地面に落ちて来た。私は次の刹那に、仙人がも一度第三の変化を遂げたかどうか知らないが、その胸に育まれた自由の思想は、やがて新しい価値の世界を発見せずにはおかないのだ。
元亨釈書の謂うところによると、釈理満とかいった河内産れの坊主は、わざわざ性慾を絶とうとして、陰萎の薬を飲んだそうだ。なんという気の毒な事だ。人間はどんな場合にも無駄な空想に駆られて、生活の力を自分で殺ぎ取ったり、別々に働かせたりしてはならない。身体のどの部分にも絶えず新しい力を波立たせ、それを生命の奥でひっくくって、よい機を見はからっては、自己を拡大し、充実する生活へ飛躍を試みなければならないのだ。
釈理満はこうして性慾の煩いを絶ってから、一心に法華を誦んだお蔭で、佛陀が涅槃の同じ日に息を引き取ったそうだが、そんなにまでして往生の素願を遂げようとも、折角内から燃えて来る焔を自分で塞いでしまったのでは、その生活は何処かにがらんどうのような空所があったに相違ない。それに比べると、久米の仙人の生活には充実があった。弾力があつた。その生命は永久に若返って、私達の生活に脈打っている。
女の脛を見て空から落ちた人――私は久米の仙人を思うと、沼水の底から、自分の茎を引切ってまで、水上の雌花に寄り添ってくる セキショウモ の花を思ひ出す。また、わが脚のちぎれるのも厭わないで、生殖腕を雌の外套膜に投げこむ蛸舟の雄を思ひ出す。
こういう全人格の底の底から震い動く衝動には、どうかすると、自己を破滅に導かないではおかぬ飛躍がある。それがそうあろうと構うことはない。自己の破滅はやがて新しい価値の発見である。
-薄田泣菫「久米の仙人」より
(quotes/source)
不安な状況に慣れなさい、さもなければ成長できませんよ。
私はよく「キャリア上、自分が最も成長したと思うのはどんな時でしたか」と質問します。それに対する典型的な答えは、リスクを取った時というものです。
成長と安心が共存することは、けっしてありません。何かに不安を感じていなければ、何も学んでいないという事です。
-Virginia(Ginni)Rometty/IBM CEO
不安な状況に慣れなさい、さもなければ成長できませんよ。
私はよく「キャリア上、自分が最も成長したと思うのはどんな時でしたか」と質問します。それに対する典型的な答えは、リスクを取った時というものです。
成長と安心が共存することは、けっしてありません。何かに不安を感じていなければ、何も学んでいないという事です。
-Virginia(Ginni)Rometty/IBM CEO
(quotes/source)
成功者はその理由を語る。同様に失敗者もまた失敗の理由を語り得る。
社会心理学のリチャード・ニスベット氏によると、
人間は結果を意識できるが過程は意識できないために、知っている以上のことを話す傾向があると主張している。
私たちは「これを手に入れた」「あれは失った」という結果は意識できても、そこに至るまでの、脳内・認知的プロセスを完全に意識することはできないのだという。
だが、結果からそのプロセスを推論することはできるため、あたかもそれが原因であるかのように振る舞い、また語ることができるというのである。
これが成功の秘訣。それは失敗の必定。なんていう話、あれは本当でしょうか。
成功者はその理由を語る。同様に失敗者もまた失敗の理由を語り得る。
社会心理学のリチャード・ニスベット氏によると、
人間は結果を意識できるが過程は意識できないために、知っている以上のことを話す傾向があると主張している。
私たちは「これを手に入れた」「あれは失った」という結果は意識できても、そこに至るまでの、脳内・認知的プロセスを完全に意識することはできないのだという。
だが、結果からそのプロセスを推論することはできるため、あたかもそれが原因であるかのように振る舞い、また語ることができるというのである。
これが成功の秘訣。それは失敗の必定。なんていう話、あれは本当でしょうか。