毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

中国と日本の若者が立つ位置の違い  2011年2月5日(土)No.58

2011-02-05 17:03:39 | 中国事情

 隣のブース(一応“個室”)からのゴーゴーいう巨大いびきと時折の寝言に悩まされつつ、今日も大阪市淀川区十三(じゅうそう)のネットカフェからお送りしま~す。ちなみに今は夕方の5時過ぎです。

 いや~、ネットカフェちゅうとこも既に4回目でかなり慣れてきた。生活空間ぽい設備が冗談じゃなくて非常にありがたく、ペア室(ったってブースですけど)に帰って?来たカップルに思わず「お帰り~。」と言いそうになった。浴室もあるし、バスタオルも貸してくれるし、ココアもジュースも飲み放題とくりゃ、(私もイザとなったら此処に来よう)と思わずにはいられません。

 さて、大阪に戻って20日経った。
さっき梅田に買い物に行って来たのだが、ヨドバシカメラで中国語による館内放送を聞いたときには(よくこんなチンプンカンプンな言葉が飛び交う中で4ヶ月半も平気で暮らしていたもんだ)と、我ながら不思議だった。まもなくまた中国に行ったらそれはそれで暮らしていくに違いないが、こういうのを「切り替えが早い」と言うのか、すぐに慣性の法則に従うというのか…。

 昨年8月末からの4ヶ月半は、ひたすら明日の中国=より良き社会を目指して必死に努力する中国の大学生たちの姿に胸を打たれる日々だった。そんな生活の中で全く使わないので忘れかけた言葉がある。日本では当たり前に聞いていたのだが・・・。
その言葉と言うのは

1 LOHAS(ロハス):健康で持続可能な暮らし
2 オルタナティブ :メインでもないサブでもないもう一つの?
3 CSR(CORPORATE SOCIAL RESPONSIBILITY):企業の社会的責任

 「バリアフリー」についてなら学生に簡単に説明できるし、彼らも「お年寄りや赤ん坊、障害者が暮らしやすい社会は、みんなが暮らし易い社会だ」と言うと深く頷く。道路の段差を見て習ったばかりの言葉を使い、「中国はまだバリアフリーじゃありません。」と申し訳なさそうに言う。(何しろ年寄りの私が文句ばっかり言うもので・・・。)
しかし、「土との共生」だの「自然に優しい」だのは、少~しスライドするようだ。現実の生活では農村部の人々は「土と格闘」し、「厳しい自然との対峙」の中で作物を収穫し、労苦に見合ったとは到底言えない低収入を得て質素な生活をしている。エリートである大学生の実家も、農業では子どもの学費が捻出できないので、出稼ぎに出ている親がたくさんいる。
「ロハス」・・・生活の中でピンとくる場面はないだろうな。
「オルタナティブ」・・・日本の戦後、生活が苦しかったときに、或いは経済復興期にそんな概念があっただろうか。今の中国は日本の1960~70年代ととても似ている。
「CSR」・・・中国でこの概念はこれから10年後ぐらいに市民権を得るかも。

 方や日本ではそんなことが大切なのだ。
半農半歌手のYaeさんは、「土とともに暮らしていたら安心だ。米を作り、野菜を育て、冬の農閑期に歌を歌って歩く」と言う。もはや立つ位置が全く違う。
日本は先に経験したのだ。いろんなことを。日本の若者が今やろうとしていること、またはやっていることは、ひょっとしてどこの国でもまだやっていない事なのかも知れない。
これはおもしろいことになってきたな、と私は思う。
 

 今回日本に戻ってきて、私は日本で暮らす若者たちの(ったって全員じゃないよ、もちろん)自然体っぽい姿が清清しかった。こんな感覚は初めてだ。去年の3月末までの私は、いわば洗濯機の中の渦巻きにグルグル巻き込まれ、周りを冷静に見るどころじゃなかった。教員という仕事はそんなにも過酷な労働だったんだと今改めて思う。そして外からの教員叩きの発言には、木を見て森を見ないものが余りに多いのが悔しい。






 

コメント
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