今日、大阪の十三(じゅうそう)で、
(中国)帰国者の友の会があった。
スタッフの誰からも「こんなんやったで~」というような
連絡が来ない・・・。
その代わりに、参加された読売新聞の石塚記者から
チャッチャとメールが送られてきて、
(本当にプロだなあ)と感銘を受けた次第である。
「次回は8月の最初の日曜日、ということになりました。」
とまで教えていただき、
もう、ほとんどスタッフのリーダーみたいなもんです。
以前の会で、李さんなど帰国者の60代の人たちがよく、
「アイヤ~」とため息をつくのを聞いた。
それを聞くたびに、ちょっぴり悲しくなったものだ。
日本的にため息というのは、『酒は泪かため息か』的なもので、
(李さんは辛いんだろうな、悲しいんだろうな)と思えるのだった。
しかし、数日前、ここ南昌で80歳の先輩が
「アイヤ~」と口にされたのを聞き、
その気持ちや如何と尋ねる機会があった。
その方によると、
「人生の愁い、哀しみは当然あるけど、思いがけない喜びもあり、人生はいいものだ」
というような気持ちが「アイヤ~」には込められることがあるそうだ。
今日の「帰国者の友」交流会でも、
李さんたちの「アイヤ~」が聞かれただろうか。
夏休みの再会が待ち遠しくなってきたなあ。
(中国)帰国者の友の会があった。
スタッフの誰からも「こんなんやったで~」というような
連絡が来ない・・・。
その代わりに、参加された読売新聞の石塚記者から
チャッチャとメールが送られてきて、
(本当にプロだなあ)と感銘を受けた次第である。
「次回は8月の最初の日曜日、ということになりました。」
とまで教えていただき、
もう、ほとんどスタッフのリーダーみたいなもんです。
以前の会で、李さんなど帰国者の60代の人たちがよく、
「アイヤ~」とため息をつくのを聞いた。
それを聞くたびに、ちょっぴり悲しくなったものだ。
日本的にため息というのは、『酒は泪かため息か』的なもので、
(李さんは辛いんだろうな、悲しいんだろうな)と思えるのだった。
しかし、数日前、ここ南昌で80歳の先輩が
「アイヤ~」と口にされたのを聞き、
その気持ちや如何と尋ねる機会があった。
その方によると、
「人生の愁い、哀しみは当然あるけど、思いがけない喜びもあり、人生はいいものだ」
というような気持ちが「アイヤ~」には込められることがあるそうだ。
今日の「帰国者の友」交流会でも、
李さんたちの「アイヤ~」が聞かれただろうか。
夏休みの再会が待ち遠しくなってきたなあ。