毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「さよなら 僕たちの幼稚園」 2013年11月4日(月)No.790

2013-11-04 21:34:17 | 中国事情
「第9回 中国人の日本語作文コンクール」で4年生が3人、
第2位、第3位、佳作という賞をいただいた。
2位(王雲花さん)、3位(李思銘さん)の作文は
12月ごろ、日本の書店に並ぶことであろう。
佳作の侯暁同さんの作品は載せてもらえない。
なので、今日ここに掲載する。
これもまた珠玉作である。
この作文を書いた侯暁同さんは、読めば分かる人は分かるだろうが、
寡黙で、ひかえ目で、発表の時はポッと頬が赤らみ、
教室の前の片隅の席にひっそり座っている、そんな子だ。

“いつからか 私達は、心からの微笑み、自分の本当の感情、
それらをゆっくり忘れてきました。”


この文を初めて読んだとき、私はあんまり素敵でドキッとしたのだった。


―――「さよなら 僕たちの幼稚園」侯暁同 ―――  

『たくさんの毎日を ここですごしてきたね
  何度も笑って 何度も泣いて
  何度も風邪をひいて
  たくさんの友だちと ここで遊んできたね
  どこでも走って どこでもころんで
  どこでもけんかをして
  さよなら ぼくたちのようちえん
  ぼくたちのあそんだ庭
  桜の花びら 散るころは ランドセルの一年生  
  たくさんの毎日を ここですごしてきたね
  うれしいことも かなしいことも
  きっと忘れない
  たくさんの友だちと ここで遊んできたね
  水遊びも 雪ダルマも
  ずっと忘れない』

清新な映画、無邪気なストーリーです。
この映画はとても分かりやすいストーリーですが、
温かくて、すうっと心の底の最も柔軟なところに触れてきます。
幼稚園の卒業式の前、5人の子どもは、
万難を排して入院している病気の友達、洋武を見舞いに行きます。
5人の中の1人は前もって綿密に調査していて、
自作の地図を持ち、どこで電車を乗り換えて、どのように病院に行くか、
とても詳しいです。
子どもたちはこの地図を頼りに出発します。
しかし、そこはまだ幼稚園の幼い子ども達のこと、
途中、次々に予測できない出来事が起こり、
最後は警官に引率されて家に連れ戻されてしまいます。
それでも、最後までひとりカンナだけが、
ついに病院にたどり着き、入院している洋武に会います。
病室でカンナと洋武は一緒に二人だけの卒園式をしました。

私は小さな子どもたちの誠実な友愛の情には本当に感動させられました。
一方、この映画の背景にある日本の教育についても、
いくつもの新鮮な感動を覚えました。

一つは能力開発の教育です。
どうして子どもたちはそんな遠いところまで
自分たちだけで電車に乗って行けるのでしょうか。
それは、幼稚園では切符の買い方や電車の乗り方を、実際に体験させたり、
幼稚園や保育所によっては、簡単な地図作りの教育もします。
周知のように,中国の多くの地方では、
中学校まで毎日大人が付き添って学校に通うので、
自律的能力はそんなに早く育ちません。

もう一つは規律の教育です。
幼稚園の子どもたちなら誰でも信号違反してはいけないことを知っています。
たとえ車が来ていなくても、だめです。
会話するときの音量教育もとても新鮮でした。
先生方はデシベルを使って子どもたちに教えます。
話さないとき、人の話を聞くときには「0デシベル」、
公共の場所で話すときは「1デシベル」です。
このような定量化の方式を使って、
ときと場合によって声の大きさを調節する勉強をしています。

最後は他人に迷惑をかけない教育です。
洋武はカンナと一緒に外で遊ぼうと誘います。
「いいよ」そう言って、カンナは大人を探そうとします。
洋武を遊びに連れて行く助けが欲しいからです。
しかし、洋武は何と「それは他人に迷惑をかけることだよ」と言うのです。
多くの日本人は小さい頃から、
他人に迷惑をかけない教育を徹底して受けているのですね。
しかし、二年前の東日本大地震の後、
日本人はこの「人に迷惑をかけない」教育のマイナス面を反省したと
聞いたことがあります。
他人に気を遣いすぎて、結局、助け合えなかったり、
団結できなかったりする一因となるからです。
この方面では、時々、中国人の感性表現のほうが、
分かり易くていいかも知れません。

この映画には何か温かいものが底に流れています。
私が子供の頃、 大人達は「簡単に友情を信じるな」と言い、
先生達は「勉強第一、他のことは考えるな」と教えます。
大人達の慎重さは、子どもの素直な心を損なう元凶になりました。
先生達の教育観点は、まるで「勉強して機械になりなさい」と言っているようで
心の豊かさを阻む原因になりました。
いつからか 私達は、心からの微笑み、自分の本当の感情、
それらをゆっくり忘れてきました。
 

この映画を見ると私たちは人生の最初に戻って、
自分の幼稚園のドアの前に立つことができます。
新しいドアを開ける幼稚園の初めの日に。
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