ほお~~っ
ついに終わった~い!
いちいち辛いのなんのと愚痴は言いませんでしたが、
ここ2週間、夜となく昼となく、黙々と作業を続けていたのでござんす。
無味乾燥にならないよう、しかもレベルを下げないよう、
学生が楽しくテストを受けられるようにと思うサービス精神が禍して、
いつも七転八倒するこの時期。
やれやれ、これでいろいろ思っていたこともボチボチブログにかき込んでいけるわ、と
伸び伸びとした気持ちでいたら、
さっき、ある学生からメールが届き、ガクッときた。
学生が悪いのではけっしてないのだが、
習慣・考え方の違いがはっきりしていて、
私には受け入れにくい内容だったのだ。
経過は、ザックリこうだ。
昨日、私のクラスでは出していない課題(スピーチ)の原稿が学生から
メールで送られてきた。
「添削してください」とのことだった。
課題や宿題は、それを出した教師の指導を受けるのが当然だということを書いて、
それでも、知らなかったのだから、と私は添削してあげて送り返した。
「今後気を付けてください」と書いて。
で、さっきその返事が来て、それには
「ごめんなさい」という言葉もちゃんと書いてあった。
ここまではいいんですけど、
そのスピーチ原稿の宿題を出した先生は、
「この宿題はブルーはーと先生に見てもらってもいいよ。
何しろブルーはーと先生のは本場の日本語だから。」
と言われたという。
私はその先生から一言もそのことについての依頼を受けていない。
ワタシ的に言うと、それは一人前の仕事人のすることではない。
その先生が私に、事前に言ってくれたら、
私はない時間を割いてでも、喜んで協力するが、
それには「一声かけて鍵かけて」がいるのだ。
ちょっと一言打診するくらい簡単な手続きだ。
しかし、絶対に必要なものである。
私はそう考える。
しかし、中国ではそうでなない。
A先生の宿題を学生が勝手にB先生に見てもらうことは全く問題ないのだそうだ。
私がイラっとくるのはその習慣である。
そんなんやったら、労働契約は何のためにあんねん!
日本人は日本語が上手だからといって、他の先生が出した宿題をどんどん
こっちに回されたら、どーすんねん、と私は叫びたくなる。
私だって遊んでいるんじゃないんですよ。
自分の仕事もあるんですから~。
これは、中国と日本の仕事の仕方の違いなのだろう。
ワタシから見れば境界線がはっきりしていないことがいくつもある。
例えば、授業で使うプリント代(紙・インク代)は大学は出しません、
ときっぱり断られたが、
時おり、メチャクチャ豪華なディナーなんぞを
学院がご馳走してくださったりして、
(イヤ、嬉しいですよ(~_~;))
でも、そんなお金があるんならインクと紙のお金払ってくれよ!とかね。
自分がまかせられた仕事は精一杯シャカリキでやるのが日本式だが、
中国はそれが一般的にユルイ。
その代り、ユルク人の分までしてあげるのもよくあるようなのだ。
ワタシ的に言うと、それは越権行為で勝手にしてはならないことである。
もちろん、連絡や相談があれば話は別だ。
先生方も「ほう・れん・そう」をちゃんとしてほしいもんだと
思ってしまう。
とまあ、新鮮な違和感をブログに書き殴りましたが
全体的にホッとするやら、イラつくやらの今日でした。
3日後にはこのプンプン感もかなり減っているだろう。
いつものことと言えば言えるのだ。
ついに終わった~い!
いちいち辛いのなんのと愚痴は言いませんでしたが、
ここ2週間、夜となく昼となく、黙々と作業を続けていたのでござんす。
無味乾燥にならないよう、しかもレベルを下げないよう、
学生が楽しくテストを受けられるようにと思うサービス精神が禍して、
いつも七転八倒するこの時期。
やれやれ、これでいろいろ思っていたこともボチボチブログにかき込んでいけるわ、と
伸び伸びとした気持ちでいたら、
さっき、ある学生からメールが届き、ガクッときた。
学生が悪いのではけっしてないのだが、
習慣・考え方の違いがはっきりしていて、
私には受け入れにくい内容だったのだ。
経過は、ザックリこうだ。
昨日、私のクラスでは出していない課題(スピーチ)の原稿が学生から
メールで送られてきた。
「添削してください」とのことだった。
課題や宿題は、それを出した教師の指導を受けるのが当然だということを書いて、
それでも、知らなかったのだから、と私は添削してあげて送り返した。
「今後気を付けてください」と書いて。
で、さっきその返事が来て、それには
「ごめんなさい」という言葉もちゃんと書いてあった。
ここまではいいんですけど、
そのスピーチ原稿の宿題を出した先生は、
「この宿題はブルーはーと先生に見てもらってもいいよ。
何しろブルーはーと先生のは本場の日本語だから。」
と言われたという。
私はその先生から一言もそのことについての依頼を受けていない。
ワタシ的に言うと、それは一人前の仕事人のすることではない。
その先生が私に、事前に言ってくれたら、
私はない時間を割いてでも、喜んで協力するが、
それには「一声かけて鍵かけて」がいるのだ。
ちょっと一言打診するくらい簡単な手続きだ。
しかし、絶対に必要なものである。
私はそう考える。
しかし、中国ではそうでなない。
A先生の宿題を学生が勝手にB先生に見てもらうことは全く問題ないのだそうだ。
私がイラっとくるのはその習慣である。
そんなんやったら、労働契約は何のためにあんねん!
日本人は日本語が上手だからといって、他の先生が出した宿題をどんどん
こっちに回されたら、どーすんねん、と私は叫びたくなる。
私だって遊んでいるんじゃないんですよ。
自分の仕事もあるんですから~。
これは、中国と日本の仕事の仕方の違いなのだろう。
ワタシから見れば境界線がはっきりしていないことがいくつもある。
例えば、授業で使うプリント代(紙・インク代)は大学は出しません、
ときっぱり断られたが、
時おり、メチャクチャ豪華なディナーなんぞを
学院がご馳走してくださったりして、
(イヤ、嬉しいですよ(~_~;))
でも、そんなお金があるんならインクと紙のお金払ってくれよ!とかね。
自分がまかせられた仕事は精一杯シャカリキでやるのが日本式だが、
中国はそれが一般的にユルイ。
その代り、ユルク人の分までしてあげるのもよくあるようなのだ。
ワタシ的に言うと、それは越権行為で勝手にしてはならないことである。
もちろん、連絡や相談があれば話は別だ。
先生方も「ほう・れん・そう」をちゃんとしてほしいもんだと
思ってしまう。
とまあ、新鮮な違和感をブログに書き殴りましたが
全体的にホッとするやら、イラつくやらの今日でした。
3日後にはこのプンプン感もかなり減っているだろう。
いつものことと言えば言えるのだ。