今朝、8時15分~25分ごろ来ることの多い520番バスが、
8時6分に宿舎前のバス停に来ていた。
私はバス停に向かう横断歩道を渡る途中でそれを発見し、走った。
バスが発進して数メートル進んだところにダッシュして手を振ったが、
運転手は無視して行ってしまった。
既に発進したバスに乗せてくれなどということは、
日本に居た時はしたことがないが、
ここでは多くの人がそうするので、
私も真似をしている。
市バスが行ってしまった後、久しぶりの朝の太陽を木の陰で避けながら、
ふと(なぜ日本の人々はバスを深追いしないのか)と思った。
理由は簡単だ。次のバスが確実に来るからだ。
ここではそうはいかない。
今度いつ来るか分からないので、少しでも可能性があるなら
捨て身で体当たりしてでも乗る努力をするべきなのだ。
実際、乗せてくれる運転手さんも時々いる。
乗れなかったからといって、中国の人々は怒らない。
いつ来るか分からない次のバスをただ、気長に待っている。
本当に、いつ来るかは運転手の勝手としか言い様がないほど、
不定期的で予測がつかないことが多い。
もし、こういうことが日本で起ったらどうだろう。
前のバスをあっさり諦めた人も、次が時刻通りに来ないと、
黙ってはいてもイライラ感が相当に募るのではなかろうか。
当然の権利が蹂躙されたような気分に近いものが、かつて私にもあった。
バスが定期的に時刻通りに来ることが、当たり前であるとされる日本では、
人間の耐久力は弱い、少なくともここの人々に比べて。
いつ来るとも知れない次のバスを待つ間、
ぼんやりそんなことを思って楠の幹の陰に立っていた。
8時6分に宿舎前のバス停に来ていた。
私はバス停に向かう横断歩道を渡る途中でそれを発見し、走った。
バスが発進して数メートル進んだところにダッシュして手を振ったが、
運転手は無視して行ってしまった。
既に発進したバスに乗せてくれなどということは、
日本に居た時はしたことがないが、
ここでは多くの人がそうするので、
私も真似をしている。
市バスが行ってしまった後、久しぶりの朝の太陽を木の陰で避けながら、
ふと(なぜ日本の人々はバスを深追いしないのか)と思った。
理由は簡単だ。次のバスが確実に来るからだ。
ここではそうはいかない。
今度いつ来るか分からないので、少しでも可能性があるなら
捨て身で体当たりしてでも乗る努力をするべきなのだ。
実際、乗せてくれる運転手さんも時々いる。
乗れなかったからといって、中国の人々は怒らない。
いつ来るか分からない次のバスをただ、気長に待っている。
本当に、いつ来るかは運転手の勝手としか言い様がないほど、
不定期的で予測がつかないことが多い。
もし、こういうことが日本で起ったらどうだろう。
前のバスをあっさり諦めた人も、次が時刻通りに来ないと、
黙ってはいてもイライラ感が相当に募るのではなかろうか。
当然の権利が蹂躙されたような気分に近いものが、かつて私にもあった。
バスが定期的に時刻通りに来ることが、当たり前であるとされる日本では、
人間の耐久力は弱い、少なくともここの人々に比べて。
いつ来るとも知れない次のバスを待つ間、
ぼんやりそんなことを思って楠の幹の陰に立っていた。