江西財経大学は「財経」系では中国国内で37位だかだそうだ。
(とにかく何でもかんでもランク付けする国なので(~_~;))
そのランクが高いのか低いのか、私にはピンとこないのだが、
学生たちは「ましな方だ」と思っているようだ。
特に深セン、広州など南方ではネームバリューがあると聞く。
今年の4年生は非常に活発に就活をしていて、
今、商務日語の授業を受けている学生は30人中20人になってしまった。
しかたがない。学院がちゃんと許可しているのだから。
就活して職を得た子も何人もいる。つまりもう、働いているのだ。
中国に来たばかりの時は、
期末試験が12月にあるのにどうするのか、と心配したが、
そこは中国のこと、企業も事情をよく呑み込んでおり、
テスト前には帰校させてくれる。
さて、南昌市で働いている子たちは大学の寮から通っているケースがほとんどで、
現在の寮は、今までと変わらず大学生活を送っている学生と、
夜、くたくたになって帰ってくる新米労働者が混在しているという状況だ。
その新米労働者の一人、
宋春華さんが、生まれて初めて日本語通訳をした体験をメールで報告してきたので、
さっそく紹介しよう。
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人生初めての日本語通訳を担当した経験 宋春華
10月28日午後4時半頃、私が勤めている業務部門(Business Segment)の課長と一緒に
錦都黃冠ホテルに行き、浙江省杭州市からのRさん(お客様)と顔を合わせ、
3人で一緒に南昌空港まで台湾から来る日本出身のお客様――Y田社長を出迎える予定でした。
Rさんと顔を合わせてから、晩ご飯の時間が来たので、
何か少し食べるために、自動車で喫茶店を探してみました。
でも、どうしても適当な店が見つからなくて、出迎える時間もそろそろになります。
課長は直接空港でコーヒーを飲むことに決めました。
初めて南昌空港に行きましたが、とても広くて綺麗だと思いました。
そして、「雨蒙コーヒー」という店に入りました。
簡単なお茶とビスケットだけなのに高額で驚きました。
午後6:35到着予定のフライトでしたが、
7:10にやっとY田社長が出迎えられました。
初めて会った印象は、身長185cmくらいの、背が高くて、ハンサムで、
また格別親切な若い社長といったものです。
最も敬服したのは社長が世界に名を馳せている早稲田大学を卒業したことです。
(東京大学卒業は政治家が多く、早稲田大学卒業は企業家が多いとよく言われています)
夜八時頃、みんな一緒に錦都黃冠ホテル真向いの
「老太婆大排档」(社長指名の南昌味です)という店で晩ご飯を食べることにしました。
いろいろ南昌本場の料理を食べ、私も慣例を破って、
「南昌8度」というビールを少々飲みました。
その時、『MY GIRL』というテレビ番組を思い出しました。
あるビジネス宴会で、通訳を担当する主人公周幼琳は、
言葉を訳さなければならない時、みんな彼女の通訳を待っているのに、
彼女の口の中はパンがいっぱいです。
これ以上気まずいことはないでしょう。私もギリギリです。
Y田社長の中国語が上手なことと優しい性格のおかげで、
気楽に過ごすことができました。
九時半頃晩ご飯がやっと終わりました。
四人とも自動車で红谷滩新区の秋水広場と古い街の八一広場をちょっと散歩しました。
その後、Y田社長とRさんを錦都黃冠ホテルまで送って行きました。
そのあと、課長が35分で江西財経大学麦庐园まで運転して送ってくれました。
その時、もう夜11時15分でした。
遅く学校に戻った私は、寮までずっと走って帰りました。
この日特別な経験で興奮しながらも、私は浅い日本語通訳能力で心配していました。
でも、もう一歩を歩みだしました。
これから、「初めて」という言葉が言えなくなりました。
(宋春華、明日も、がんばって)と心の中で自分に言いました。
10月29日午前十時から、日本向けの研修面接が始まりました。
もし昨日の随行がただ友情を高める程度であるなら、
本日の状況は本場の通訳に間違いないです。
幸いなことに、面接の大部分の問題と答えは日常用語です。
正式な場合なのに、敬語を使わなけらばならないことをつい忘れてしまいました。
ほとんど普通体で訳しました。
どうしても訳せない時、簡単な英語で話して、また、ほかの似ている日本語を話しました。
今回の通訳経験より、通訳者の重要な橋の役割を深く認識しました。
私は一番ハラハラしている人間で、
また社長以外では最も重視されていて、話したことも一番多いです。
毎回流暢に訳したら、自信も徐々に増えていき、全く怖くなくなりました。
随行通訳は巨大な圧力に耐えなければなりません。
注意力をずっと集中させ続けるのは基本です。
12時、Y田社長と課長と私は、南昌空港まで行きました。
2時半のシンセン向けフライトです。
通訳の仕事はただ違う二つの国の言葉を訳すことではなく、
最も重要なのは、休みの時、車に乗るとき、ご飯を食べる時、
お客様とうまく交流することだと思います。
私は雰囲気をよくするために、ずっと次々と話題を出しました。
日本の有名なことなら、全部話しました。
「半沢直樹」とか、「secret base」とか、「世界でひとつだけの花」とか、
そして「名探偵コナン」も出てきました。
最後に、空港でゆっくり昼ごはんを食べました。
残念なことに、遠くて手が届かず、はしで挟めない料理もあり、ただ見ていました。
その後、Y田社長と一緒に写真を撮って、握手して別れました。
ここで、人生の初めての日本語通訳担当する経験が円満に終わりました。
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(とにかく何でもかんでもランク付けする国なので(~_~;))
そのランクが高いのか低いのか、私にはピンとこないのだが、
学生たちは「ましな方だ」と思っているようだ。
特に深セン、広州など南方ではネームバリューがあると聞く。
今年の4年生は非常に活発に就活をしていて、
今、商務日語の授業を受けている学生は30人中20人になってしまった。
しかたがない。学院がちゃんと許可しているのだから。
就活して職を得た子も何人もいる。つまりもう、働いているのだ。
中国に来たばかりの時は、
期末試験が12月にあるのにどうするのか、と心配したが、
そこは中国のこと、企業も事情をよく呑み込んでおり、
テスト前には帰校させてくれる。
さて、南昌市で働いている子たちは大学の寮から通っているケースがほとんどで、
現在の寮は、今までと変わらず大学生活を送っている学生と、
夜、くたくたになって帰ってくる新米労働者が混在しているという状況だ。
その新米労働者の一人、
宋春華さんが、生まれて初めて日本語通訳をした体験をメールで報告してきたので、
さっそく紹介しよう。
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人生初めての日本語通訳を担当した経験 宋春華
10月28日午後4時半頃、私が勤めている業務部門(Business Segment)の課長と一緒に
錦都黃冠ホテルに行き、浙江省杭州市からのRさん(お客様)と顔を合わせ、
3人で一緒に南昌空港まで台湾から来る日本出身のお客様――Y田社長を出迎える予定でした。
Rさんと顔を合わせてから、晩ご飯の時間が来たので、
何か少し食べるために、自動車で喫茶店を探してみました。
でも、どうしても適当な店が見つからなくて、出迎える時間もそろそろになります。
課長は直接空港でコーヒーを飲むことに決めました。
初めて南昌空港に行きましたが、とても広くて綺麗だと思いました。
そして、「雨蒙コーヒー」という店に入りました。
簡単なお茶とビスケットだけなのに高額で驚きました。
午後6:35到着予定のフライトでしたが、
7:10にやっとY田社長が出迎えられました。
初めて会った印象は、身長185cmくらいの、背が高くて、ハンサムで、
また格別親切な若い社長といったものです。
最も敬服したのは社長が世界に名を馳せている早稲田大学を卒業したことです。
(東京大学卒業は政治家が多く、早稲田大学卒業は企業家が多いとよく言われています)
夜八時頃、みんな一緒に錦都黃冠ホテル真向いの
「老太婆大排档」(社長指名の南昌味です)という店で晩ご飯を食べることにしました。
いろいろ南昌本場の料理を食べ、私も慣例を破って、
「南昌8度」というビールを少々飲みました。
その時、『MY GIRL』というテレビ番組を思い出しました。
あるビジネス宴会で、通訳を担当する主人公周幼琳は、
言葉を訳さなければならない時、みんな彼女の通訳を待っているのに、
彼女の口の中はパンがいっぱいです。
これ以上気まずいことはないでしょう。私もギリギリです。
Y田社長の中国語が上手なことと優しい性格のおかげで、
気楽に過ごすことができました。
九時半頃晩ご飯がやっと終わりました。
四人とも自動車で红谷滩新区の秋水広場と古い街の八一広場をちょっと散歩しました。
その後、Y田社長とRさんを錦都黃冠ホテルまで送って行きました。
そのあと、課長が35分で江西財経大学麦庐园まで運転して送ってくれました。
その時、もう夜11時15分でした。
遅く学校に戻った私は、寮までずっと走って帰りました。
この日特別な経験で興奮しながらも、私は浅い日本語通訳能力で心配していました。
でも、もう一歩を歩みだしました。
これから、「初めて」という言葉が言えなくなりました。
(宋春華、明日も、がんばって)と心の中で自分に言いました。
10月29日午前十時から、日本向けの研修面接が始まりました。
もし昨日の随行がただ友情を高める程度であるなら、
本日の状況は本場の通訳に間違いないです。
幸いなことに、面接の大部分の問題と答えは日常用語です。
正式な場合なのに、敬語を使わなけらばならないことをつい忘れてしまいました。
ほとんど普通体で訳しました。
どうしても訳せない時、簡単な英語で話して、また、ほかの似ている日本語を話しました。
今回の通訳経験より、通訳者の重要な橋の役割を深く認識しました。
私は一番ハラハラしている人間で、
また社長以外では最も重視されていて、話したことも一番多いです。
毎回流暢に訳したら、自信も徐々に増えていき、全く怖くなくなりました。
随行通訳は巨大な圧力に耐えなければなりません。
注意力をずっと集中させ続けるのは基本です。
12時、Y田社長と課長と私は、南昌空港まで行きました。
2時半のシンセン向けフライトです。
通訳の仕事はただ違う二つの国の言葉を訳すことではなく、
最も重要なのは、休みの時、車に乗るとき、ご飯を食べる時、
お客様とうまく交流することだと思います。
私は雰囲気をよくするために、ずっと次々と話題を出しました。
日本の有名なことなら、全部話しました。
「半沢直樹」とか、「secret base」とか、「世界でひとつだけの花」とか、
そして「名探偵コナン」も出てきました。
最後に、空港でゆっくり昼ごはんを食べました。
残念なことに、遠くて手が届かず、はしで挟めない料理もあり、ただ見ていました。
その後、Y田社長と一緒に写真を撮って、握手して別れました。
ここで、人生の初めての日本語通訳担当する経験が円満に終わりました。
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