先々週、誰かの写真で豆ごはんを見て、そういう食べ物があったことを
すっかり忘れていた自分に気付いた。
先週、豆が安売りだったので買って帰って久しぶりに(多分5年ぶり)炊いて食べた。
それから今日で3回目の豆ごはんだ。
今日の豆はやや小ぶりだが新鮮。
私は土鍋でご飯を炊くので、たいていおこげができる。
今日もちょっと焦げた。それもおいしく食べた。
食べていると、心中もやもやしていることが浮かんでくる。
今日は「なぜ、人々は分かり合えないか」ということについて
あれこれ、及び、くよくよ考えていた。
その大きな原因は、あれだ。
情報が偏っているのだ。
みんな、仲間内の情報で満足してそれを判断の根拠にする。
それでは、蛸壺の世界だ。
昨日、ネットニュースで、
「大阪都構想」否決の結果の感想を町往く人たちに聞いていたが、
ある30代ぐらいの若者は、控えめに
「ええっと、僕の周りはみんな都構想賛成なので、とても意外です。
大阪市が発展するためには、必要かとちょっと思ったんですけど……。」
と述べていた。
ほらね。周りは固まっているのだ。
FBの「いいね」も、むやみやたらは気をつけなきゃね。
街の人々は分断されている、というか、蛸壺にはまっている。
町中、蛸壺だらけだ。
豆ご飯を食べた後、
去年、南昌で八木先生にもらった雲南省のコーヒー豆を煎った。
もう、残り少ない。
酸味を減らすため深煎りする。
生を冷蔵庫に入れているので、一年でも全く問題ない。
明後日、友人が来るので、その時に挽いて味わおう。ごっくん。