毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「1年生の聴解授業の初日」No.1471

2015-09-29 22:40:55 | 日本語

立ち並ぶ宿舎の前には少しの空き地があって、それぞれのビルの住人が、

花やヘチマやらを植えています。

この花は何という名前でしょうか、日本でもしょっちゅう見かけるのに、

一度としてきちんと名前を調べたことがありません。

さんざん葉を虫に喰われ、ばったり寝転がっているのですが、

それでもその花の周りには輝きにも似たものがあり、思わず近づきました。

 

今朝、午前8時からの授業は、軍事訓練を終えていよいよ授業が始まった

一年生の聴解クラスです。

本当に初々しい子ども達(18歳ぐらい。中には17歳もいる)が、

何をやっても一生懸命に反応します。

今日は、50音と自分の名前の日本語読みを練習しました。

あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ、のように、ただ、

50音にメロディとリズムをつけた歌を歌うと、

そんなことですらノリノリでやってくれます。

最後は「わを~ん」と犬の鳴き声をしてもらわなあかんのですが、

それもたいへんキュートでしたよ。

やっぱり、思うんですけどね、

学ぶ際には、これくらい捨身で(笑)学ぶと、吸収が早いですね。

私は子どもの頃からへ理屈ばかりこねて、本当にへそ曲がりでした。

この血筋が子孫に引き継がれませんようにと、祈るばかりです。


四年生の楊芬さんが、李先生の国際貿易のクラスを投げ打って、

私のために通訳を買って出てくれたおかげで、どんどん授業がはかどりました。

彼女は途中から自分が教師になったかのように、

後輩たちをテキパキと指導してくれて、

もう、全部やってもらいたいくらいでしたよ。感謝、感謝!


⇓宿舎の台所から下を見たら、近所の親子連れが通ったのでパチリと。

本当に周りは赤ちゃんが多いですよ。

もう一人っ子政策はかなり緩和されたようですし、

若い人々は、伸び伸びと子どもを産み、育てることができるみたいです。

日本は「国家のために産んで貢献しろ」と政府高官が言ったとか。

その人権無視の言葉にも、産めない社会の現実にも、腹が立ちます。


 

 

 

 

 

コメント (2)
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