毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「江西財経大学の厳先生の食べ残しエピソード」No.2768

2018-12-08 23:36:44 | 日本中国比較

  

    洗濯室の窓辺は日当たりがいいと言っても氷点下の寒さなので

    書斎に一時避難している人参・大根・スパティフィラム。


先日「中日『食べ残し』随想」No.2761で掲載したのと同じものを

古巣の江西財経大学の先生方に送ったところ、

懐かしい厳新平先生からメールをいただきました。

ご自身の子ども時代(江西省の農村)の体験を書いてくださっていて、

大変興味深かったです。

御紹介いたします。

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ご入賞の作品を拝読いたしました。

子供の頃のことが思い出され、色々考えさせられてしまいますね。

子供の頃のこととして、よく覚えているのは親戚の結婚披露宴のことです。
昔、農村では、披露宴には朝、昼、晩の三食もあって、朝は大体軽食のうどんです。
そのうどんのことですが、結婚披露宴のうどんには必ず殻を剥いた煮卵が3個入っていました。
貧しい時代の農村では、卵は貴重品だったのです。
私と姉や妹達がその朝食に出る前に、必ず母に呼び集められ、「卵は2個しか食べないでね」と言われてました。「どうして?」と内心が不満でしたが、食卓に上り、うどんは全部食べましたが、卵は1個残していました。周りの人のお碗を見たら、みんな1個残してありました。
そして、残りの卵は、翌朝、まだ帰っていない親戚の朝食に出されたのです。
 
先生がおっしゃるとおり、中国の食べ残しも日本のもったいない精神も
お客さんの主人側への思いやり、貧しさから生まれた礼儀です。
でも、「豊か」な今日、中国の大学食堂でよく見られる食べ残しはいったいとういうものなのか考えさせられます。
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同じように相手への思いやりの気持ちを持ちながら、
中国では食べ残し、日本では一粒残さず食べるという違いに注目した私が、
中国と日本では「豊かな食事」に対する視点が違うのではないか、
つまり、
「客が食べ残すほど美味しい料理を大量に出すこと」を豊かだとする中国、
「料理の味や量よりその場を美的なムードに盛り上げること」に豊かさを見出す日本、
という設定をしてメールを差し上げたところ、
さらにお返事をいただきました。
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食事習慣から国民性の違いが反映されているのは面白いです。
先生がおっしゃる「客が満腹になって余すほど提供する」のは、
確かに中国人が客をもてなす趣旨になっているようです。
中国語では「吃饱喝足」と言います。
それはよく使う言葉です。
今の結婚披露宴では、
絶対に食べきれない、飲みきれないほどの料理とお酒を提供します。
もし料理やお酒が足りなかったら、
新郎新婦のメンツが潰れることになるでしょう。
 
日本人の客をもてなす心はもっと洗練されているのですね。
料理の素材から、お皿の形や模様、男女別の座布団、
お茶を入れるコップの敷物に至るまで、細かくこだわっているようです。
料理の豪勢さだけから見れば、
中国人の金持ちの結婚披露宴に勝てないかもしれませんが、
そのきめ細かい心遣いはとてもいいところです。
だから、先生のように、食事の後、客が食器を丁寧に片付けたりして、
主人側に感謝する気持ちを伝えようとするのですね。
主人と客とは相互に作用して、日本の食事文化を作り上げていると思います。
そこから日本人の国民性が見えるような気がします

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「もてなしの洗練された心」とか褒められてしまいましたよ、日本人。

いやあ、それほどでも。デヘヘ。

(日本人の一般的国民性を言っているのであって、

私を個人的に褒めているわけでもないのに照れている可愛い私)。

 昨日の朝10時。路面がしばれています。

 



コメント (2)
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