毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「強風+曇り空・・それでも花開くキャンパスの木々」No.2870

2019-03-21 23:46:59 | 中国事情

ジュゴンの死でウッとなっても

授業は立派にしないと、と毎日授業に出かけ

気合いを入れて教えています(教えられてもいる)。

ここ3日間は風が強く、

ビルの私の部屋のすぐ外側を通る暖房のパイプラインの金属カバーがめくれ、

毎晩、朝までずっとペラペラの金属が風に翻弄される音が続いて

睡眠不足気味です。

昼間も変わらずパッカンパッカン鳴っていますが、

起きている間はさほど気になりません。

ここ菏澤ではこうした事態がすぐに改善されることは期待できません。

我慢するしかないのです。


キャンパスの木たちも似たような境遇で、

一旦咲いてしまった花はどんな強風に吹かれても今さら蕾むこともできず、

翻弄され、耐え、最後は散ります。

3月18日、見事に咲いた樹の花です(名前はわかりません)。

風が吹き始めた翌日は・・・・・・。

それでもかなり粘って咲いていますよね。

 

「年に一度の開花が始まったキャンパスの木々」No.2856

で元気に咲いていたサンシュユ(山茱萸)の花もこれこの通り。

(サンシュユという名前はYozakuraさんのご教授です)

 上の写真は雅苑(第二食堂)の傍の樹たちですが、

図書館の近くの大庭園(笑)は、今からが本番です。

どの樹が何という名前だとか、もはやサッパリわかりません。

また教えてくださ~い。番号を打っておきますので(笑)。

①? 

 

  ↑何だったかなあ!以前は覚えていたのに。

③? 

 

  ↑↓これは「ボケ(木瓜)」ですね。

  音声だけ聞くと関西では「何しとんねん、ボケ!」のように悪口言葉です。

  こんなに愛らしい花なのに酷いですね。

④’ 

⑤ 

  ↑↓「シナレンギョウ」だな。

⑤’ 

⑥? 

⑦ 

↑↓これは分かりました!「紫葉李」(别名:紅葉李。薔薇科・李〈スモモ〉属)です。

しかし、日本語では何?

⑦’ 

⑦” 

⑧? 

⑨ 

  中央の東屋の手前は、お馴染み「枝垂れ柳」。

 日本の幽霊がよくこの樹下に現れるのは姿が儚げだからでしょうか。

 サラサラと葉擦れの音が優しく涼しげで、私はこの樹がとても好きです。

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「痛々しいジュゴンの姿が問いかけるもの」No.2869

2019-03-21 02:58:03 | 民主主義について

写真はフェイスブックMさんの投稿をお借りしました。:金原寿浩画伯の作品


太古の昔からずっと美しい海で草を食み、

今の世に命をつなぎ続けてきた種、ジュゴン。

沖縄本島大宜味村ではジュゴンは、

海の神を乗せて山まで運んでくれると神歌に歌われているそうです。


「平和のために戦争に出かける」ことを推し進める日本政府と、

それを鵜呑みにする愚民が蔓延る世が今の日本で、

この日本がジュゴンを殺してしまいました。

ジュゴンが生き永らえられる世界こそ

私たちもまた平和に生き延びられる世界だったのに……。

ジュゴンの死は

これ以上ない平和への警告を発しているとしか思えません。

今帰仁漁港にジュゴン死んでるんだけど。pic.twitter.com/FuzdJBaXq0


アメリカではジュゴンの生息地を開発してはいけないそうです。

自国では到底作れない軍事基地を

日本の、沖縄の、ジュゴン生息地に平然と作るアメリカの御立派な「民主主義」!

そして私たちの日本政府は、「美しい日本を取り戻そう」と言いつつ、

美しい海を好戦的かつ傲慢な意志で潰し、

特別天然記念物に指定され、最大の保護を課せられているジュゴンを殺し、

未来永劫アメリカの属国でいたいと、

身もだえするほどアメリカに尻尾を振っているのです。


下はフェイスブック友だちHYさんの投稿です(上の痛々しい写真も)。

昨日、沖縄本島付近に数頭しかいないとされている国の特別天然記念物・
ジュゴンの死骸が本部半島の今帰仁漁港に上げられた。
先ほど19日正午過ぎ、同漁港に行き現場を確認してきた。
ちょうど、今帰仁村教育委員会の担当者や美ら海水族館の職員などが
死骸の測定のためくるんであったブルーシートをはがし
体形の測定をしているところだった。
頭から尾びれまでの長さが289㌢、胴の幅76㌢、胴の高さ64㌢だった。
胴回りは図っていないがおそらく150㌢以上、
体重は300㌔グラム以上だと思われる。
その場にいた漁師の平良正男さん(96歳=写真)に話を聞いた。
平良さんは、
「以前8年ほど今帰仁漁協の組合長をしていた。
戦前から70年以上漁業をしているがジュゴンを見たのはこれが初めてだ。
ジュゴンの食糧となる辺野古の藻場が工事でダメになったので
この西海岸まで餌を探し、命が果てたのだと思う。
私は辺野古の新基地工事がジュゴンの命を奪ったとみている」
と話していた。
画像に含まれている可能性があるもの:3人、、スマイル

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