毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「岩屋防衛相:『正直(これ以上嘘をつくのが)つらい』では?」No.2874

2019-03-24 23:46:21 | 民主主義について

「沖縄の基地負担軽減のため、辺野古に基地を作る」という

アベ政権の岩屋防衛相やスガ官房長官ですが、辺野古も沖縄なんですけど?

それに「世界一危険な普天間基地の危険性除去」という割には

オスプレイは飛ばすわ、米軍機から幼稚園や小学校に落下物があっても

「それで何人死んだんだ!」とせせら笑う内閣です。

すぐ傍の嘉手納基地では死者が何人も出る事態であるにも拘らず

「一日も早い嘉手納基地の危険性除去」とは一度も言った事がない日本政府。

要するに、辺野古に基地を作るというのは

普天間基地の危険性除去とは全く無関係で、

ゼネコン利権や不動産利権など、金儲けのためなんですわ。

どこから見ても。

辺野古の基地予定地の軟弱地盤が深さ90mにも及んでいるのに、

肝心の90m地点のサンプルは採取せず、

よその土を調べて「よし!非常に固い」と太鼓判押しても意味ないでしょ。

「アホか、お前は!」

関西ではそう言います。

「工事はただちに止めなさい!」は、

「ほんまにすぐ工事止めんか、こら」かな。

(「こら」はちょっと余分かも


毎日、沖縄県民の命がけの阻止闘争が続いています。

 

↓資料:90mの地質調査を誤魔化していた件についての沖縄県の2紙の記事です。

「非常に硬い粘土質」というが…

深度90mでサンプル採取せず 

辺野古の軟弱地盤、別地点から強度判断 

沖縄タイムスプラス3月23日

【東京】名護市辺野古の新基地建設の軟弱地盤を巡る問題で、防衛省が「B27」と呼ばれる水面下の最大深度90メートルの地点で、地盤の強度を示す「N値」を直接調べる標準貫入試験をしていないことが22日、分かった。防衛省は「同じ土層」の別の地点の室内試験結果からB27地点の70メートルより深い地点は「非常に硬い粘土層」とし、地盤改良をせず「十分に安定的な施工が可能」と説明している。

大浦湾側の護岸「K4」(中央左)から沖合に延びる「K8」護岸の建設が始まり、汚濁防止膜が設置された辺野古沖合=名護市(小型無人機で撮影)

ただ、防衛省の資料によると、B27でサンプルは採取せず、センサーを用いて実施した「コーン貫入試験」の結果をもと基にN値に換算した値では、86メートルの深さまでN値は9以下となっており、「非常に硬い」ではなく、「中位~硬い」に分類される。

 岩屋毅防衛相は22日の参院予算委員会で、B27でN値の測定をしたか問われ、「B27そのものはやっていない」と認めた。その上で、「すぐ近くにある」3地点でボーリング調査を行い、そのサンプルを用いた室内試験の結果から、B27の70メートル以深は「非常に硬い粘土層に分類される」と述べた。

 ただ、3地点は「S3」「S20」「B58」で、B27からはそれぞれ約150メートル、約300メートル、約750メートル離れている。

 軟弱地盤の大浦湾側では、コンクリートなどで造る「ケーソン」を設置して護岸を構築する予定で、B27は「C1護岸」予定地の直下にあり、沈下の可能性が指摘されている。

 社民党の福島瑞穂副党首、自由党の森裕子幹事長への答弁。

防衛省、90メートル地点未調査 

軟弱地盤、周辺値で強度判断

2019年3月23日 12:12琉球新報

【東京】名護市辺野古の新基地建設を巡る軟弱地盤の問題で、岩屋毅防衛相は22日の参院予算委員会で、水面下90メートルに達する地点のボーリング調査について「そのものはやっていない」と明らかにした。防衛省は周辺の地点のボーリング調査で得られた地盤強度を示す「N値」やほかの試験を基に、軟弱地盤が水面下90メートルに達する点でも70メートルまでの改良で安定性が確保できると説明していた。野党は「強度が安定しているとの大臣の答弁は虚偽答弁だ」などと批判した。

防衛省が国会に提出した地盤に関する報告書などによると、水面下90メートルまで軟弱地盤が及ぶ地点「B27」の地盤強度について、同省は150~750メートル離れた3地点でのボーリング調査で得られた結果などを基に判断している。B27は、今後防衛省がケーソンと呼ばれる箱形の構造物である「C1護岸」を設置する計画の位置に重なり、この地点でN値を検査していないことに野党から疑問が相次いだ。

また、地盤改良に伴い約7万7千本の砂ぐいが打ち込まれ大量の砂が使われることによる環境への影響について、岩屋防衛相は「(県に提出した)環境保全図書で予測された影響の最大値の範囲にとどめることが可能だ」と述べ、環境影響評価(アセスメント)のやり直しは不要との考えを示した。

 


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「国にへつらう道政か、自立した北海道か」No.2873

2019-03-24 12:46:27 | 民主主義について

北海道出身者として、誇りを持てる知事候補者が立ちました。

いいえ、北海道だけのことではありません。

自立した地方自治の包囲があってこそ、

今の政府の歪み・堕落・腐敗を正すことができます。

今の日本には、すべての都道府県、市町村で

石川ともひろさんのようなリーダーが必要です。

でないと、ワヤクチャな低レベル国家への転落を続けるしかありません。

相手候補はスガ官房長官がテコ入れした政府に都合のいい人材です。

北海道自治のためには決してなりません。

昨日、石川さんが道東のかなり端っこにある我が地元斜里(しゃり)の

ラルズマートまでいってくれたのが、個人的には超うれしいです

(私の生まれは小清水町の山奥の厚生開拓村ですが、

小学校3年生から高校卒業まで十年間暮らして、

今も兄姉〈もう、二人になっちゃった~い〉の住む斜里はやはり故郷です)

 がんばれー!地方自治!!

がんばれー!北海道!!


ちなみに、今日の石川ともひろさんはここを走っています。↓

訓子府(くんねっぷ)・置戸(おけと)・遠軽(えんがる)・

紋別(もんべつ)・雄武(おうむ)・枝幸(えさし)・稚内(わっかない)

ふう、まだ全部言えた(笑)。

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「大学生たちの『ある夜の夢』」No.2872

2019-03-24 01:29:24 | 中国事情

 

↑名も知らぬ果物。プラム大で味は甘くない梨。二度と買わない。


菏澤学院2年生の作文授業が始まり、

エッセイの書き方を中心に授業をしています。

私はよく以前の学生が書いた作品を参考例として紹介します。

先日は「見たこと・聞いたこと・話したこと・心で思ったことなどを詳しく書く」を

課題に取り上げ、ちょうど懐かしい以前の大学の2年生の作文があったので

菏澤学院の2年生に紹介しました。

みんな興味深く読み、吹き出したり、頷いたりしていました。

共感を得る内容だったようです。

大学生活についての夢より、

それ以前の高校時代、中学時代の夢が印象に残っている子が多いのは

やはりその時期は学生たちにとって

よほど受験勉強が苦しく、

また、友人たちとともに歯を食いしばって苦節三年を耐えたという

貴重な体験を持つ時だったからかと思います。

例えば次のような作文があります。

 

江西財経大学日本語学科2年 「ある夜の夢」

J.蕾

今まで、私の一番深く印象に残った夢、それは大学入試前のものです。

その頃、やはり受験勉強のせいで、私はほとんど毎晩夢を見ました。

ある夜の夢は次のようなものでした。                 

大学入試の後、成績全部が出ました。でも、私の点数は合格ラインに届きませんでした。

頭から血が引き、ただ立っているだけで精いっぱいでした。

その時、雨が降っていたんですが、私は傘を持っていませんでした。

周りの人々は試験の成績を言い合っていました。

みんな楽しそうに笑ったり、抱き合ったりしています。

でも、私は一人ぼっちで雨にぬれて歩きながら泣いています。

まるで、自分の生活が全て消えたようでした。

家族の私への希望もすっかり消え失せました。

家の中は暗く、誰も話しません。

真っ暗なトンネルにいるような気がしました。とても怖かったです。

その時、私は目が覚めて、全身に冷や汗をかいていました。

今はその夢を思い出しても、もう、怖くないです。

しかし、あんなに怖かった感触は今も少し残っています。

もし、中国の父母が大学入試をそんなにも重視しなければ、

私はそんな夢を見なかったかも知れません。

※蕾さんは数年前来日しましたが、大学院生になってやめたり、バイトリーダーになったりと、日本でも波乱万丈です。

C.麗

 小さい頃から私はよく夢を見ている。

高校時代のある夜、特別な夢を見た。

私は険しい山に登っていて、途中、変なお爺さんに会った。

「お前は高三の生徒だろう」と言われて、

「は、はい」と緊張して答えた。

お爺さんは、

「お前は頭がいいが、今度の大学入試には合格できない」と言った。

「ど、どうして?」

「勉強は日々の努力の積み重ねだ」と、

にっこり笑ってそのお爺さんはどこかへ飛んで行った。

(なんでそんなこと言うの?わたしは合格したくて堪らないのに……)

と、ちょっと悲しくなっちゃった。

その後、私は大学入試に合格しなかった。

高校へ勉強に帰って1年間必死に勉強した。

2年目、私は江西財経大学に入った。

本当に『勉強は日々の積み重ねだ』と思った。

以前、私は遊んでばかりだったのだ。

※中国では大学入試に落ちた学生は高校に戻り、校舎の一角のビルでもう一度受験勉強に集中します。予備校がないので高校がその代わりの施設を提供しているのです。北京、上海など大都市はどうか分かりませんけど。

S.巧諭  

今まで、たぶんもう何百もの夢を見ました。

でも、一番印象深いのは中学校の担任の先生の夢です。

今でも思い出すとおもしろいです。

その時、私はその先生が嫌いでした。

ある日の昼間、先生の悪口を言ったら、その夜、すぐ先生を夢で見ました。

夢の中で、先生は蛇になってガラスの箱に閉じ込められていました。

でも、その蛇は箱を出て、家まで私を追いかけてきました。

怖くて、私はすぐに逃げました。

(あぶない、もう少しで捕まる!)と思ったとき、急に友達と兄弟たちが現れました。

みんなは輪になって蛇を砲撃してくれました。

しかし、当たった砲丸が多ければ多いほど、蛇は大きくなってきました。

みんなは焦って、タケコプターで空に飛びあがりました。

(これからどうしたらいいかな?)と思っているうちに、突然、

(そうだ!爆竹を鳴らすと逆になるかもね)と閃いて、やってみました。

結果は思った通り、蛇は小さくなって、最後に先生の姿になりました。

夢から覚めて、びっくりして、そして、嬉しいと感じました。

夢で先生に復讐できたからです。

 ※中国では中学、高校の先生方は生徒たちに煙たがられる場合が多いようです。原因は高圧的だったり、試験だけで生徒の評価をしたり、というのが学生たちの声です。いずれにしても、中国の学校の詰め込み教育は半端じゃありません。

Y.慧斌  

中国の諺に「昼に思ったことが、夜の夢になる」というのがあります。

疲れた時に心でいろいろなことを考えますが、それが怖い夢になります。

先週、大学の活動や日本語の勉強などがたくさんありましたので、夢を見ました。

こんな夢です。

その日は日本語コーナーの活動があるので、

私は予定の時刻より20分早く着きました。

教室には先生だけいました。

時間が経っても学生は一人も来ません。私は緊張してきました。

「呼んできます」と先生に言って、寮に帰ると、そいつらは寝ていました。

私は腹が立って堪らなくて、「起きろ、おきろ!」と大声で呼びました。

その後で、私たちは急いで教室に走りました。

でも、今度は先生が怒って出ていきました。

ああ、こんな怖いことになって……。

私はその時、目が覚めました。あ、夢だった。

※これは大学での夢です。Y.慧斌さんは当時クラスの班長でしたので、責任者としていつも働いていました。大学のクラスの班長はとても、とても忙しいのです。班長なんかしていたら大学院に合格しないというジンクスもあるほど。

 

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