2学期が始まって2週間経ちました。
全人代はまだ終わらず、従ってまだフェイスブック、ツイッターは見られません。
また、全人代が終了してもこの規制が緩むという保証はないのです。
取り分け、フェイスブックに親しんできた私としては
寂しい反面、空き時間が急に増えたような…(笑)。
毎日、フェイスブック事務局が
「前回のログインからいろいろなことがありました。
お知らせをチェックして友達の最新情報を見てみましょう。
メッセージ29件、Poke3件、イベント招待2件、新しいお知らせ67件云々」
とe-メールで連絡してくれるのですが、どうしようもありません。
夕方、2年生の2人に作文の個別指導した後、
一緒に第三食堂で椎茸ラーメンを食べて宿舎に戻り、
ちょっとベッドで一休みしたら、もう日が変わっていました。
しかし、土日は休息日です。
少々夜更かしをしても昨日の作文の話を書こうと思います。
今、二年生は「日本について」というテーマで500字~1000字の作文を書いています。
アニメや食文化、日本語における外来語、マスク着用など、
内容はバラバラですが、その中で趙さんは
「3・11と日本人」というタイトルの作文を書いてきました。
『3・11は全ての日本人にとって忘れられない日である。』という書き出しです。
私はまず、(本当にそうだろうか。
被災者以外に3・11を心に刻んで生きている日本人はどれくらいいるんだろう)と
思わざるを得ませんでした。
避難者はいまだ12万人以上にも及び、
避難先では虐めに遭い、恐喝され、
帰還したら帰還したで、また悩みが待ち受けていると聞きます。
特に、避難先での虐めは学校に通う子どもだけでなく、
地域の大人が避難してきた人を苛めるということも珍しくないそうです。
何なんですかね、この国は。情けなくないですか?
原因ははっきりしています。
国を挙げて、被災者を守り抜かなければならないのに、
政府が一貫してそれをしてこなかったからです。
復興予算は他に流用され、復興のためのオリンピックはもともと語義矛盾、
それなのに野田の原発事故収束宣言、アベのアンダーコントロール放言、
原発事故では誰も逮捕もされず、
東電はじめ全国の原発は政府の過保護の下、再稼働にひた走っています。
そうした政府の棄民政策に、
多くの国民が同調しているとしか思えないのが今の日本の現実です。
しかし、そんなことを日本語を勉強している中国人の学生に言えません。
私は3・11以後を生きる二人の福島県人について趙さんに紹介しました。
一人は「希望の牧場ふくしま」の浪江町の吉沢さん、
吉沢さんは、政府が「動く瓦礫だ。殺せ」と言い放った牛たちの「命」の世話を続けています。
私が、あちこちの記事から写真をピックアップしてフォトアルバムを作ったものを、
一緒に研究室で見ました。
趙さんが「先生、『命』って何ですか。」と聞くので、一瞬ギクッとしました。
(http://jafmate.jp/jmp/311/iidate_namie/001.html 希望の牧場・ふくしま=福島県浪江町周辺 被災地に残された命をつなぐ)
もう一人は昨日見つけた記事にあった南相馬市の上野さん、
未だに発見されない息子の遺体を探し続けているそうです。
息子を見つけたら自分も死のうと思っていたと言う上野さんの、
「命」と「絶望」、そして「希望」について
二人で記事を読みながら話し合いました。
(https://news.yahoo.co.jp/feature/534「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で)
3・11から今日で丸6年。
記念日にあの日を思い出すというのではなく、
あの日から今まで生き抜いてきた、生き抜いている、被災者の
一人ひとりに心を寄せ続けたいと思います。
趙さんは、どんな作文を書き上げるかなあ。
食堂から宿舎への帰り道、
暗がりの中から甘くいい匂いが漂ってきました。
辺りを見ると、mr.blackさんが教えてくださったミツマタがここにも。
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