毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日中『しかたないさ』考」No.1646

2016-04-20 08:25:16 | 日本中国比較

「しかたないさ、みんながするって言うもの」

生前、母が言っていた言葉です。

「どうして母さんたちは戦争に反対しなかったの?」

という私の質問への返答でした。

私たちはとても仲のいい親子でしたが、政治については全く意見が分かれ、

よく議論しました。

あまり白熱すると、母は決まって腹を立て、頭から布団を被って寝てしまったものです。

私の政策批判に対して、

「政府はおまえなんかよりよっぽど何でも知っているんだ。専門家なんだぞ!」

と私を威嚇し、死ぬまで自民党支持だった母。

高等小学校しか出ていない母でした。そして、

(無知・無学な国民は、ときの政府を全面的に信頼して従うのが務めだ)

と考えていた母でした。

小規模に政策に違和感を感じたときは、いつも

「しかたないさ、ここで文句言っても何も変わらん」

と、諦めるのでした。

これは、昔の教育を受けてきた人だからだと言えるでしょうか。

いまでも、日本の全国津々浦々で

「しかたないさ、ここで文句いっても力にならんよ」

と自分を無力だと信じている人たちがあまりにも多いのを感じます。

日本人は感覚的で理論的に考えるのが苦手な民族だと言われますが、

そう十把一絡げにしてはどうなんでしょう・・・・・・。

ところで、

一人ひとりの国民が(自分は無力で何も分からない庶民だ)と信じることは、

政府を支える超強力な力を発揮していることになるんですよね

これ、すごいパラドックスじゃないですか。

分からないから何もしない、ではなく、

分からないから、知るために学び、動くというように発想を転換しなければ、

政府の最も望む「衆愚」に成り果ててしまいます。

それって、かなりいやじゃないですか。

 

私の5年間の体験の範囲ですが、中国の庶民も、

「しかたないさ、ここで文句いっても力にならんよ」

と、同じことを言う人が非常に多いです。

しかし、それは表面です。

(そう表明しなければ、自分の身に危険が及ぶ可能性がある)と考えているのです。

それ、杞憂じゃありませんから。

大学生たちは、そんな風潮の中で育ってきたので

大概、政治への関心が低いのを感じます。

中年以上の人たちの中には、お酒を飲むと

「政治なんか!」と吐き捨てるように言う人、

「私たちがこの国の政治に力を発揮するチャンスは全くありません」

とキッパリ言う人たちがいます。

その言葉の底にある気持ちは、同様の言葉を発する日本人と同じかと言うと、

私にはそうは思えません。

一方は、最後には暴動に発展する可能性を心に秘めているのです。

ある社会的テーマについて、学生に問題を投げかけると、

江西財経大学の学生たちは見事にどんどん意見を述べました。

ここ、菏澤学院の学生たちは、日本語で話す力がまだ足りませんけど、

作文で表現すると、決して思考停止でないのを感じます。

日本の若者たちも、そうであってほしいと切に願います。

 

ところで、話は変わりますケド(笑)、

消費税導入は「しかたがない」という考えはどうでしょう。

この意見、よく聞きますよね。

日本では消費税増税の前は、間接税(物品税)でした。

生活必需品には課税せず、贅沢品に税を課していたのです。

それが、一億総中流化を現出させた力になったと言われています。

この間接税は、世界に先駆けて実施されたもので、のちにヨーロッパなどでも

日本の間接税を参考にした税制が施行された例があるそうです。

 

下の消費税施行前と現在を比較した表をしみじみ眺めました。

そして、トヨタをはじめ消費税の還付を受けて、超優遇されている大企業と、

優遇の「ゆ」の字も受けず、月十万円の生活費から大根代150円、トマト代250円と

ギリギリの出費を余儀なくされている庶民を比較してしまいます。

これも「しかたがないさ、政府はよく国民のことを考えているよ。専門家だから」

と言えることでしょうか。


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