花火の帰りは、みんな(3人娘、中南大学3人衆、私)で
バス停のある通りまで散歩がてら歩いた。
途中の路上で屋台のおばさんが油桃を売っていた。
通り過ぎながら余立君さんが「それ、いくら?」と
いかにも買いそうもない素振りで聞くと、後ろから
「「一斤4元だよ」と返ってきた。
どんどん遠ざかりながらも余立君は、
「一斤3元でどう?」と口だけ交渉している。
さらにかなり遠ざかった後ろから、
「それでもいいわ。家に余りを持って帰りたくないから!」
と大声がすると、彼女はくるりと振り返り、
「それなら買うわ」と、15mほどの距離をとっとと引き返した。
その時の劉文潔さんの顔がたいへん印象的であった。
その顔は(余立君はね~、もう、どうしようもない人だから~)
と物語っていた。
おばさんが袋に入れてくれた10元分の油桃を、みんなで
「あれ~、これ軽すぎるわ。もうちょっと入れて」
と、さらにいくつも放り込んだ。
おばさんはモニョモニョ言っていたが、皆完全に無視状態だった。
つまり、こうだ。
屋台などでは、最初から秤を操作して割高に売りつけるのが、
中国では非常によくあることなので、客は
「袋の中身が少ない、おかしい」
と文句を言って交渉するのが、一般的なのだ。
日本では、表示されたらそのままお金を払うのが大方だろう。
とにかく中国で暮らすには、するどい観察力と、強い交渉力が必要なのである。
学生たちはそんなに若いのに、もう、その技を身に付けている。
くるくる(舌を巻く音)。
ホテルの下は夜中まで土曜の晩の賑わいを呈していた。
下は12時ごろの様子。
誰も帰らないでお酒を飲んだり、ぺチャクチャ喋ったりしている。
次の朝、路上はすっかり掃除され、朝の屋台で朝御飯を売っていた。
朝8時頃の下の様子。
大学がたくさんあるので、おのずと学生客が多い。
南昌に帰る日だ。
前の晩の散歩で足の裏に水ぶくれができた施芳芳さんの水を
針で穴を開けて取り除いた。
見たところ、大手術の様だ。
絆創膏が無くなったのでここまで大げさになった。
施さんのボーイフレンドが見たら、さぞ驚くであろう。
朝から暑い長沙。
屋台では作りながらマントウ、肉まん、シューマイなどを売っている。
作りながら売る商法はアピール力がある。
なんだか知らないけど、とても美味しそうに見えるのだ。
食べ物を見ると無意味にニコニコする余立君さん。
朝食後、駅に向かう班とスーパーで買い物してから駅に来る班に分かれた。
私が「お土産に湖南省・張家界の葛粉が欲しい」と言ったため、
わざわざ買いに行ってくれたのだ。
余さんと劉文潔さん(彼も一緒に南昌に行く。家族が南昌にいるので)が、
スーパー葛粉班、劉慧さん、施芳芳さん、私が一足先に駅に行き、
切符を入手する班になった。
私はいずれにしても、ただついて行くだけなんだけどさ。
長沙駅には銃を持つ武装警官が立っていた。
張家界駅では、パトカーの中から
「文明のマナーを守りましょう」
と呼びかけていただけだったのが、都心部に来たらこうも変わるものなのか。
南昌でも、同様に銃を持って2人の警察官が立っていたのには仰天した。
(南昌までもか・・・)と正直思った。
逮捕されたら嫌なので、写真を撮るのは控えた。
長沙ー南昌の5時間ほどの汽車の中。
急に乗務員が大声で物売りを始めたような?
いえいえ、この人は四川省のどこかとどこやらが汽車で繋がった記念の
プレゼントを乗客にくれようとしているんでした。
話芸の達者なこと、またここにも吉本の芸人が・・・、といった風情。
この人の後で、本当に物売りの乗務員が来たけど、
実に際立ってつまらない語り口の人だった。
従って、誰も買わない。
トランプやらさんざんした後、若者たちはラーメンを出した。
中国でラーメンと言えばこのブランド。
「辣」と書いてあるのはいわゆる激辛だ。
しかし、おそらく日本の激辛はここでは普通だと言われるだろう。
それくらいこの「辣」は、辛い。
そうだ、これもお土産に買って帰ろっかな。
へえ、フォークをこう刺して蓋を閉めるのか。
ああ、今回も本当におもしろい旅だった。
ありがとう、3人娘。
中南大学の3人衆。
そして、旅で出会ったたくさんの人たち。
そうそう、おまけで20日、我が宿舎に来てくれた
劉文潔さんの浴衣姿を披露しましょう。
ほぼ日本の落語家だ。
何だか私まで 学生さん達とお別れするのが寂しい気持ちになってしまったよ~~~
日本に戻って落ち着いたら 連絡くださいね~~~^^ 愉より
愉美子さんグッズに囲まれて、楽しい楽しい4年間を過ごしましたよーん。
香り高い栞は、劉慧さんにおすそ分けしました。
リセッシュの詰め替えはまだたっぷり残っています。
これのおかげで箪笥の臭いのもどこかに消えました。
ちょっぴり愉美子さんの香りをここに残して、私は戻ります、あなたのもとへ~~♪