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「劉思婷さん日本滞在記(その2)ー帰国者と戦争」 2013年10月12日(土)No.769

2013-10-12 20:15:09 | 日本中国比較
浙江省旅行の話で途切れていた劉思婷さんの関西滞在記の続編。
(「その1」は9月30日に掲載しています)

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[帰国者と戦争]
7月27日は「帰国者の友」交流会に参加して、
多くの在日中国人や中国からの帰国者に会った。
以前より何度も先生から、帰国者のことは聞いていた。

奥さんの体調回復を願う李達夫さん、
20歳の若い年に愛する夫のもとに来日した原田玲奈さん、
5年前、研修生として一人で海を渡って日本で自立している劉氷さん…。
初対面であるが、前から先生に聞いたり、
作文集『帰国者の歩んできた道』を読んだりして、
名前や話を知っているので、(やっと、お目にかかった)と思い、すぐに親しくなった。

戦争のせいで、帰国者はみな生きるために、いろいろ大変な苦労をした。
私はそういう経験がないので、戦争被害者に対して何を言ったらいいかわからない。
言葉というのは軽すぎて、何を言っても足りないと思う。
いま、帰国者の皆さんが日本で生き生きと暮らしているのを見て、
祖国中国側の私は、感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとう、日本の方々。

先日、先生のブログで、『はだしのゲン』という映画の名前が出てきた。
そのあと、ネットでこの映画を見た。戦争の怖さがつくづくと感じられた。
一瞬にして、生と死との別れである。
もともと幸せだった生活が瞬く間に地獄に落ちる。
生活の苦しみより、家族との生離死別が一番耐えられないことである。

日本に帰国した方々は、それぞれ乗り越えた困難が違うが、
きっともがきながら、叫びながら、生き続けてきたに違いない。
今の世界でも、戦争のために家族と別れ、死に直面する人たちが多くいる。
中東やエジプトのニュースを見て、私たちは幸せすぎるとよく思う。
しかし、こんな平和な国にいるのに、毎日文句ばかり言う人がたくさんいる。
「しっかりしなさい。仕事でも、お金でも、努力すればなんとかなる。
しかし、戦乱の国では、努力しても、自分の命すら守れない人はたくさんいるのだ。」
と怒鳴りつけたい。
幸せすぎて、ちょっとぐらいの困難にも辛いと思って、すぐあきらめる。
最後の最後、何でもできないまま、文句を言いながら一生を終わるのだ。

また、今日ネットでニュースを読んだとき、「東瀛慘案」の写真集を見た。
それは、1923年関東大地震が起こったとき、
日本軍国主義下で暴徒と化した人々は世の混乱に乗じて、
当時東京大島町に住んでいた中国温州、青田市出身の中国労働者750人を虐殺した。
朝鮮人に対しても同じである。
軍隊や警察は「保護」という名目で、数多くの朝鮮人を集め、逮捕した。
また、日本の民衆は“自警団”を組織し、逮捕された人たちに対して暴行を加え、
約6000人の朝鮮人が殺された。
2013年9月8日、“関東大震災時に虐殺された中国遇難者追悼会”が東京で行われた。
しかし、90年も経ったし、日本政府もこのことを隠したり、
責任を庶民に押しつけたり、教科書を改竄したりして、世の中にはあまり知らさず、
ちゃんと責任を取って来なかった。
日本で関東大地震で亡くなった人たちを憶う際、
在日朝鮮人と在日中国人は同時に惨死した先人を想っていることを、
日本の人々は知ってほしい。
世界で再び同じことが起こらないように祈る。
PS: http://news.qq.com/a/20130912/011089.htm#p=1 
『図話集―忘れられた「東瀛慘案」』

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参考:関東大震災 中国人犠牲者を追悼  
   虐殺事件 国家責任問う;ネット版赤旗2013年9月10日(火)
   http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-10/2013091014_01_1.html
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