広島での被爆体験を描いた、漫画家の故中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」(全10巻)が、昨年12月から松江市内の市立小中学校の図書館で子どもたちが自由に見ることができない閉架の状態になっていることが分かった。市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求めた。
―朝日デジタル:2013/8/17 http://digital.asahi.com/articles/osk201308160095.html?ref=reca
市教委が判断した「過激な暴力描写」部分は下の4コマだ。
しかし、これらは中国では、小さい子どもでも知っている日本軍の蛮行のごく一部にすぎない。
だからこそ、中国の人々は大人から子供まで、今でも心で血の涙を流し続けているのだ。
肝心の加害者側の日本の子どもたちは一体いつ・どこでそれを学ぶのか。
こういう「過激な暴力」は「描写が過激だから」問題なのではなく、
「暴力行為そのもの」が問題なのである。
「発達段階に応じた教育を」と言う人たちがいるが、
その人たちは、いつなら歴史の事実を直視できる段階に日本人が発達するというのだろう。
人間の成長過程において、どんな辛い事実でも、どんな小さい子供でも、
せめてその一端を知らなければならない。
結局、「子どもに知らせるには配慮を要する」とは、
「日本人に知らせるのは配慮を要する」ということではないか。
つまり、「南京大虐殺」や「盧溝橋事件」同様、「はだしのゲン」に描かれた事もまた、
なかったこととして葬り去られてしまうのではないか。
そう思うのにも根拠があって、
「昨年8月、『ありもしない日本軍の蛮行が描かれており、子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける』として、小中学校からの作品の撤去を求める陳情が市民から市議会にあった。」(同朝日デジタル) ということである。
こうして都合の悪いことは
「なかった、なかった!」と百万回叫んでなかったことにしようというのが、
今日の日本のある傾向の人々の仕業なのだ。
これこそが、世界の人々に対する蛮行でなくてなんであろうか。
日本の子どもたちは、あったことをあったこととして、ちゃんと受け止めることができる。
そして、これから二度とこうした蛮行をしないことを心に刻むことができる。
あったことを、あったこととしてきちんと教えさえすればいいのである。
お元気にされていますか?
先日このニュースをTVで観た時に本当にがっかりした気持ちと恐怖の感情でいっぱいになりました。
子どもの頃はだしのゲンを初めて読んだ時の衝撃は
今でも思いだせる程です。
でも怖いと感じたからこそ「絶対に二度としてはいけないこと」ということが学べたんです。
子ども達に「見せない」「知らせない」ことで
いつかまた悲しい戦争が起きるのではと思ってしまいました。
私は実際には戦争を知らない世代であるかもしれませんが、子ども達に伝えていきたいと心から思う出来事でした。
いつも長々とすみません…><
「閲覧制限」とは、これまた余りにも見え透いた暴挙ですね。しかし何故に、島根県松江市が選ばれたのでしょうか?不思議です。
追加情報です。
北京在住のフリー・ジャーナリスト「ふるまいよしこ」氏のtwitter (accountは@furumai_yoshiko)に、この松江市教育員会による閲覧制限の決定にいたる第三者の取材記事が08月 22日付けで連続掲載されています。
取材記事は、朝氏新聞社の武田肇記者(accountは@hajimaru2)による現地取材に基づくTwitter14本で、これを、当該ジャーナリストの「ふるまいよしこ」氏がRe-Tweetしたものです。また、この原文ツィート14本には、別に竹田圭吾氏もRe-Tweetしています。
ご関心あれば、貴方の自己責任で御覧下さい。お元気で。
今の日本は国民の意識を排外的な方に向けようとする意図的な言動や、それに考えなく追従するお調子者たちが余りにも増えています。
でも、一方でちょこさんのたちのような若者たちも、沢山育っているのが頼もし~(この夏休みにも、そんな子達に会いましたよ♡)。
一人ひとりが、もっと冷静に物事を検証することができれば、日本社会はかなりよくなるんだけどね~。
また、ときどき、コメント欄に声を寄せてくれるのを待っています。元気でね!
有料契約で見ることはできますが、私はとりあえず江西省政府に招聘されてきている身分ですので、慎重にした方がいいと判断しています。
ふるまいよしこさん、武田肇記者などの記事がtwitter以外の方法でインターネット上に広がるのを待ちます。
情報をありがとうございました。
「ご関心あれば、貴方の自己責任で御覧下さい。」とのことですが、どこかのサイトを開くのは常に自己責任です。〈貴方の自己責任で〉とわざわざ書いていただかなくても結構です。