毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「大阪都構想ならぬ『大阪と抗争』真っただ中」2015年5月12日(火)No.1358

2015-05-12 18:39:58 | 日本事情

中国の学生たちのことを話題にしている分には、心が平安でいられますが、

自分の身の回りに目を転ずれば、ああ、ホントにもう……。

阪急十三駅から歩いて家に帰る道すがら、維新の会の街宣車や、

共産党の車やらが大阪都構想の賛否を訴えつつ、通り過ぎて行きます。

いったいこのことにいくらお金がかかっているのか、

そして、そんな時間があったら、もっと他にできることナンボでもあるのに、

もったいないなあ、と思います。

 

とりわけ、橋下徹さんは大阪市長の身分を笠に着て、

大阪都構想の宣伝に、な、なんと、大阪市の税金を使いまくっているとのこと。

そう言えば、最近、毎日yahooのポータルサイトを開くと、右上に橋下市長の顔がちらつき、

(レレレ、幻想まで見るとは、よほど神経参っているわ)と危機感覚ゆれば、

それは幻想でも何でもなく、橋下市長が動画宣伝しているのでした。

(これ、市議会で決定しなくとも勝手にできるのだろうか?

維新の会ばかりが税金を使っているが、反対派は自前でやっている。

大阪都構想はまだ決まってもいないのに??)

 

大阪都構想は、大阪市にとって、得るものはまるでなく、

市が破壊され、政令指定都市の権利がなくなり、市の利益も大阪府に吸い取られ、

維新の会系統の利権でどこかの企業がぼろ儲けするわ、

文楽など大阪の何百年もの伝統文化は潰されるわ、

カジノで拝金主義の下品な街づくりはされるわ、

この期に及んでいまだに橋下ファンである市民は、

何が悲しくてそこまで大阪市破壊に加担したいのでしょうか。

何度でも言うけど、

橋下さんの口車に乗せられていないで自分の頭でよ~く、よ~く、考えてね。

もう、「反対」しかあり得ないです。

 

私は期日前投票が好きなので、もうとっくに反対投票を済ませましたが、

橋下さんは、まださらに税金使って無差別電話攻勢をして、

市民の圧倒的不評を買っているそうな。

↓   ↓   ↓   ↓   ↓

「とおるちゃんからでんわ」

https://www.youtube.com/watch?v=KKHfejwzJ44

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「江西省南昌の大学の願掛け木」2015年5月11日(月)No.1357

2015-05-11 23:05:57 | 中国事情

4年生の写真の贈り物、

今日は江西財経大学麦蘆園(日本語学科のあるキャンパス)から、

施芳芳さんの写真です。

下は図書館から正門側を見たところ。

約5年前にここに行った私は、油照りとはこういうことかと初めて悟ったのでした。

南昌は、暑いか寒いかどっちかです。極端なのです・・・。

 

すでにツツジは終わりかけで、天気がいいと毎日暑いそうです。

 

ここは名前、忘れちゃったのですが、恋人たちのデートコースになっていた岩山で、

向こうに見えるのが第一食堂です。

この食堂、昼食時は何千人もの学生・職員が押し寄せ、並ぶも何もあったもんじゃない(笑)。

私もそのすったもんだにすっかり慣れて平気で暮らしていました。

岩山の中には木がたくさんあって、このキャンパス随一の落ち着いたところです。

写真にこんなのがあったので、気になって施芳芳さんにメールで聞きました。

 

すると次のような返事が来ました。

―――――――――――――――――――――――――――――

あれは「願望木」ですよ。

学生が自分の願いとか夢とかを布切れの上に書いた後、枝に掲げます。

いくつかをじっくり見ましたが、願いといっても、たくさんの人は

「ヨーグルト、買って持ってきてほしい。」

「スーツケース、持つの手助けして!」のような面白くない願いです。

これらは、むしろ異性と出会いたい願いと言えるでしょう。

なぜなら、下に電話やQQ 番号も書いているからです。

私は最初、上の内容は卒業生が心残りにしていることかと思いましたが、

よくよく考えて、恋人を得る願望だなあと分かりました。

一見するとまさかの内容ですが、実はそんなものでした。

あー、あの山は植物が多いけど、蚊とほかの虫もたくさんいます。

恋人じゃなくても行く人も少なくないですよ。(笑)

――――――――――――――――――――

なんてカワイイ学生たちでしょう。

そんな回りくどい願い、いつになったら叶うことやら。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「江西省宜春市の高校散歩」2015年5月10日(日)No.1356

2015-05-10 22:38:51 | 中国事情

中国の草木の写真を送ってね~、と頼んだところ、

卒業間近の4年生たちが今いるところの写真を送ってくれました。

これで日本に居ながら中国旅行をしたも同然、しめしめ。

あまり観光地ではありませんが、

普通の生活が分かるこちらの方が私は嬉しいです。

 

今日は、江西省南昌市から汽車で湖南省(毛沢東の故郷)に向けて行く途中にある

宜春市の高校キャンパスの写真です。

周文いくさんは今、故郷宜春に帰っていて、

母校に立ち寄り、思い出のスポットなどの紹介メールを送ってくれたものです。

解説は全て周文いくさんによります。

それにしても、高校というより大学キャンパスといった風情ですね。

以前、樟樹市の劉思婷さんがいた高校をのぞいたときも同じ感想を持ちました。

中国の高校教育環境整備は、キャンパスに関しては素晴らしいですね。

(2校とも受験校ですので全体を見ての感想ではありませんが)。

―――――――――――――――

(この季節道端でよく見える名も知らない野生の花)

↑ハルジオン?ヒメジョオン?誰か~教えて~(ブルーはーと)

 

私の母校の高校は植物園みたい美しいところと誇りに思っております。

もう久しぶりだなと思い、自動車教習所から帰ってきたついでに母校に立ち寄りました。

ちょうど雨が止んだばかりで、緑いっぱい目に映っていました。

懐かしい母校のことですから、何を見ても写真を撮りたくて、

どこに立ってもいい思い出が出てくるような気がしました。

いい写真何枚も撮ったが、残念なことに、先生に一番見せたかった、

わが母校の一番特色のある建物「蔦ハウス」はもう昔の様子ではありませんでした。

「蔦ハウス」(もう萎れている泣き顔泣き顔かつては蔦があんなに青々と茂っていたのに)



 (緑に囲まれた小道)

(事務室のビルの前、真剣な顔をして本を読んでいる女の子の彫刻)


(ラタンに巻き付かれる回廊)


(あずまやの椅子にのんびり寝ていた猫さん。最初見えなかったので、びっくりしましたうれしい顔!)

 


(私の故郷である宜春市の奉新県唯一の有名人「宋応星」という人の彫刻。拍手拍手拍手

この方は明末清初の科学家で、中国古代の農業と手工業に偉大な貢献をしました。

彼が書いた『天工開物』という本が「中国17世紀の手工芸百科事典」と呼ばれます)。


(葉の形と茸の形のあずまや)

(キャンパス内のバラ。もう萎えているショッキング) 


(最後は私の美術の先生の部屋です。壁の飾りは全部先生自分で描きました。

絵を描く時私も見ていたので、深い印象が残りました)。


宜春市は特に変わっている植物はありませんが、

母校へ行くとついいろいろを思い出しました。

では、とりあえず今日はこの辺であっかんべーあっかんべーあっかんべー。また!挙手挙手挙手

―――周文毓(しゅう ぶんいく)
     

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「宮崎駿さんも辺野古基金共同代表に!」2015年5月9日(土)No.1355

2015-05-09 17:26:31 | がんばろう沖縄

  

うわ、宮崎駿さんも!

これは中国の若者たち、驚くだろうな。

何しろ「千と千尋の神隠し」、「天空の城ラピュタ」、「風の谷のナウシカ」とか、

中国では日本語学科の学生でなくても誰でも観ている、

あのアニメの巨匠宮崎駿監督です。

このニュースは、沖縄や辺野古(へのこ)を知らない人たちにとって、

沖縄の基地問題、そして今の日本の政権のやり方に関心を持つ

きっかけになるに違いありません。

海外だけでなく、もちろん日本国内でもそうでしょう。


辺野古基金共同代表には宮崎駿さんだけでなく

昨年11月末に亡くなった菅原文太さんのお連れ合い・文子さんも、

安倍政権に不服従の意思を表明するため」に名を連ねています。

ホンマ、嬉しくて涙が出ますね!!

この機会に、菅原文太さんが亡くなった際、文子さんが発表された

コメント全文を掲載させていただきます。

 

『七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち

「朝に道を開かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。

 

「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。

一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。

もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、

荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。

すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、

これらを願い続けているだろうと思います。

 

恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、

ここにお詫び申し上げます。』

http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/01/obituary-sugawara-bunta_n_6245966.html

 

今日、私も「辺野古基金」に送金しました。

沖縄タイムスによると、

名護市辺野古の新基地建設に反対する「辺野古基金」の準備委員会は、

5月1日那覇市内で会見し、

4月30日時点の寄付金が1億1915万698円となったと発表しました。

銀行への振込件数は4577件で、約7割が本土からといいます。

うーむ、一ヶ月で1億円!これはすごいですね。

沖縄新基地建設反対闘争の大きな力になるでしょう。

 そして、本土の人たちもやるじゃないですか。

電卓で1件の平均を計算すると、約26000円か。

私はその10分の1程度のお金でたいへん恐縮ですが(´Д`;)、

その代わり毎月送りますからね。

本物の貧者からの連帯の気持ちです。

 

 ◆辺野古基金の振込先

辺野古基金の主な振込先は次の通り(店番号-口座番号)

送金先はいずれも「辺野古基金」

▽みずほ銀行那覇支店 693-1855733

▽ゆうちょ銀行 708-1365941

▽沖縄県労働金庫県庁出張所 953-3406481

▽琉球銀行県庁出張所 251-185920

▽沖縄銀行県庁出張所 012-1292772

▽沖縄海邦銀行県庁内出張所 102-0082175。

問い合わせは基金事務局=電098(943)6748=へ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「村上春樹、ついに国内で原発推進批判」2015年5月8日(金)No.1354

2015-05-08 21:16:01 | 原発事故

村上春樹と言えばデタッチメント(社会事象に立ち入らない)作家だと

言われてきたし、私もそう思ってきた。

2009年エルサレム賞授賞式でのあの有名な「卵と壁」スピーチや、

2014年カタルーニャ国際賞授賞式での

「私たち 日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」発言には、

(そんな立派なことを外国でだけ言わずに、ぜひ日本国内で発言して欲しいものだ)

(「私たち日本人は」、じゃなくて、「私、村上春樹は」、だろう。

大江健三郎さんを始め多くの人々はずっと、反核、反原発を訴えてきたのだ)

と、非常に違和感を感じたものだった。

その村上春樹さんが、

 

歴史問題、原発問題に対して、最近自分の立ち位置を明確に述べた。

何が変化して、そう決意したのかは分からないが、

頭の根本のネジがずれている百田尚樹が揶揄したような

「ノーベル賞狙い」ではないことは感じで分かる。

村上さんも、日本はもはや後がないと思うに至ったのだろうか……。

 

リテラ 2015.04.23

村上春樹が原発反対の意志を明確にし、大きな話題を呼んでいる。

村上は昨年、ネット上で読者の質問に答える期間限定サイト「村上さんのところ」を開設したのだが、そこに寄せられたある質問メールに対する村上の回答が大論争となっているのだ。

 メールの主は38歳の男性。「原発NO!に疑問を持っています」と題して、村上にこのような質問をぶつけた。

「私自身は原発についてどう自分の中で消化してよいか未だにわかりません。親友を亡くしたり自分自身もけがをしたり他人にさせたりした車社会のほうが、身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。(年間コンスタントに事故で5000人近くが亡くなっているわけですし)」
「この先スーパーエネルギーが発見されて、原発よりも超効率がいいけど超危険、なんてエネルギーが出たら、それは止めてせめて原発にしようよなんて議論になりそうな、相対的な問題にしかどうしても思えないのですがどうでしょうか……」

 いやもう聞き飽きた、このセリフ。この質問者の疑問は、福島原発事故以降、百田尚樹、ホリエモン、ビートたけし、池田信夫、町村信孝前衆院議長、ミキハウス社長……原発推進派の人間たちがしょっちゅう持ち出してくる論理、いや、へ理屈の典型だ。「原発事故で死者は出ていない」「交通事故の死者のほうが多いから、原発のリスクは自動車のリスクより小さい」「毎年数千人の死者を出している自動車を廃止せよとは誰も言わないじゃないか」……。

 しかし、この一見もっともらしい“へ理屈”に対して、村上は丁寧に反論している。

 まず交通事故死についても対策が必要と前置きしたうえで、〈しかし福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います〉と、原発事故の被害の大きさをあらためて指摘。

 つづけて「死者が出ていないからたいしたことない」という論理に疑問を投げかける。

〈もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです。〉

 原発事故の被害を矮小化することなく、交通事故とは次元がちがう問題であることを原則論として語るだけではない。従来の村上春樹では考えられないことだが、「再稼働を止めなければ」と現実の政策にまで踏み込んで批判しているのだ。

 ネットなどではこの村上発言に対して批判も飛び交っている。そのほとんどは、「死亡者と避難者を比べるのはおかしい」「原発も自動車も絶対に安全とは言えないから、経済的な観点を無視できるはずがない」などというもので、まったく反論になっていない。

 そもそもよく読めば、その回答は村上発言のなかにあらかじめ含まれていることが分かるはずだ。

〈それだけ(15万人)の数の人々が住んでいた土地から強制退去させられ、見知らぬ地に身を寄せて暮らしています。家族がばらばらになってしまったケースも数多くあります。その心労によって命を落とされている方もたくさんおられます。自死されたかたも多数に及んでいます。〉

 「数」の問題でいえば、15万人もの人が人生の基盤を奪われるという死に匹敵する甚大な被害を受けている。「死者が出ていない」というが、直接の死者がいないに過ぎず、いわゆる「原発関連死」は決して少なくない。……と、いったん原発推進派の議論の土俵に乗り、「数」の問題にも、「死者がいない」論にも明確に反論している。

 そのうえで、本質は「数」の話ではなく、「国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」と述べているのだ。「死亡者」の「数」の比較に還元することは、あたかも客観的で冷静な分析を装っているが、その実、被災者・避難者の人生という“質”や、国土が世代を超えて汚染される“時”の議論を隠蔽し、問題を矮小化している。

 この「隠蔽」と「矮小化」が何者によってなされるのか。村上はその犯人をハッキリと指摘する。

〈「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。〉

 そう、「政府」であり「電力会社」であり、その息のかかった「御用学者」に「御用文化人」だと。そして、「比べるべきではないものを比べる数字のトリック」「論理のすり替え」と、彼ら原子力ムラが国民をだましてきたやり口を喝破する。

さらに、原発再稼動肯定派が大義名分とする「効率」という言葉について、こう問いかける。

〈効率っていったい何でしょう? 15万の人々の人生を踏みつけ、ないがしろにするような効率に、どのような意味があるのでしょうか? それを「相対的な問題」として切り捨ててしまえるものでしょうか? というのが僕の意見です。〉

 実は、村上は以前にも海外で、この「効率」という観点について、反対意見を表明したことがあった。それは2011年6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で行われたスピーチでのこと。村上は東日本大震災と原発事故に触れてこう言った。

〈(福島原発の事故は)我々日本人が歴史上体験する、(広島・長崎の原爆投下に次ぐ)二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を損ない、自らの生活を破壊しているのです。
 どうしてそんなことになったのでしょう?(略)答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました(略)。
 まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。〉

 ここには、春樹文学のひとつの特徴と言われるもったいぶったレトリックや気の効いた比喩は皆無だ。当時、このスピーチは国内でも大きく報道されたが、「政治家らが曖昧な説明しかしないなか公人としての貴重な発言」と評価する者もいた一方、「海外でなく日本国内で言ってほしい」と物足りなさを感じた向きも多かったことは記憶に新しい。

 しかし、もともと、村上春樹といえば、社会や政治などの“巨大なシステム”と距離を置こうとする主人公を作品のなかで描いてきた作家だった。団塊の世代でありながら同世代の作家たちとは一線を画し、学生運動や政治からは一貫して距離をとっていた。デビューから1980年代までの彼の作品は、文芸評論家などから「デタッチメント(かかわろうとしない)」文学とも呼ばれていた。ご存知のとおり、村上が社会的出来事を作品のなかに反映させ始めたのは、1995年阪神淡路大震災、オウム地下鉄サリン事件などが相次いでからである。

 とりわけ、ノーベル文学賞候補と目されるようになった2000年代後半頃から、村上はますます社会的・政治的発言を行うようになっていった。09年エルサレム賞授賞式での「壁と卵」スピーチは有名だが、その他もアメリカやオーストリアのインタビューで積極的に日本社会について語っている。もっとも、それらはみな海外でのことであり、依然として国内メディアでは発言に慎重だったことから、「ノーベル賞へのアピールだろ」などと揶揄されることにもなったのだが。

 しかし、そんな村上がここに来て、日本国内へ向けて大々的に社会的・政治的発言をするようになったのである。これはひとつの変化と捉えてよいだろう。

 前述の特設サイトでの回答だけではない。今月半ばから、共同通信が配信した村上のロングインタビューが毎日、東京、神戸、西日本新聞など、複数の新聞社に掲載された。そこで村上は、国際情勢について、〈「テロリスト国家」を潰すんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです〉と断じ、日本の歴史認識の問題でも明らかに安倍政権を牽制するような発言をしている。

〈ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。〉

 簡潔ながら、説得力のある言葉である。これらの村上の発言についてさっそく百田尚樹が「そんなこと言うてもノーベル賞はもらわれへんと思うよ」などと、ノーベル賞へのアピールかのように揶揄していたが、そうではないだろう。村上春樹はおそらく本気だ。

 「政治」からも「本気」からも最も遠いところにいた村上春樹が、国内でここまで踏み込んでいるということは、やはりこの国が相当に差し迫った危機に直面していることの証なのではないか。

 いや、ひょっとすると、村上は、かつて自身が描いてきた小説の主人公のような人たちへ向けて、発信し始めたのかもしれない。「原発推進派も反原発派もどっちもどっち」「権力批判も大概にしないとかっこ悪い」という“かかわろうとしない”態度のままで本当にいいのか考えてみてほしい──もしそれが村上の思いであるのならば、是非今後も、様々な局面で発言を続けていってほしい。
酒井まど

http://lite-ra.com/2015/04/post-1047_4.html


毎日新聞のインタビュー記事:

村上春樹さん:時代と歴史と物語を語る みんな一生懸命生きている2015年04月27日http://mainichi.jp/feature/news/20150427mog00m040004000c.html



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大連の春が届いた」2015年5月7日(木)No.1353

2015-05-07 21:54:49 | 中国事情

「アカシアの花が咲くころは、街じゅうにアカシアの香りが漂って、

ああ、春が来たんだと思ったものです。」

近畿中国帰国者支援交流センターで日本語を教えていたころ、

残留孤児一世の夫とともに関西に来た中国人女性の呂さんが

そう語ってくれたことがあります。

日本の風土に馴染もうと、懸命に努力したのですが、

故郷を思う気持ちは年を経てますます膨らみ、

大連に帰りたくて帰りたくてたまらなかった呂さん。

今、その気持ちはどうなったでしょう。

滋賀の団地のベランダから近くの公園の木々を見ると、

故郷に繋がる気持ちがすると言っていたことを思い出します。

 

大連外国語大学の大学院に進学した劉慧さんに、

「アカシア並木の写真を送って。」とメールしたところ、

ドバっと花の写真が届きました。

劉さん曰く、

実はアカシアってどんな植物かよく知らないです。

昨日キャンパス内で気の向くままに歩きながら、

美しい景色と出会って、たくさんの写真を撮りました。

いろんな花が咲いているんで、今のキャンパスも四季の

中で一番美しいと思います。

 花が好きだといっても、花の名前とか全然知らないです。

 植物においては中国人の多くは日本人より鈍感なような気がします。

 アカシアの方はまだ見かけていないので、いくつかの花の写真を先生に送ります。

とのこと。

そっかあ、アカシアはこれからかあ。

 

 

 

 

おお、桜の精?! いいえ、劉慧さんです。

中国の伝統では女性の長い髪は美しさの一つだと聞いたことがありますが、

確かに、そんな感じがしますねえ。

(彼女は焼き肉屋さんでバイトをして、髪に匂いが沁み込み、一日で辞めた経験がありますww)。 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今こそ、お茶飲んで、落ち着いて」2015年5月6日(水)No.1352

2015-05-06 12:16:55 | 反戦平和

連日、ひっきりなしに改憲、集団的自衛権、安保法案、大阪都構想など、

「これでもか!まだ考えるか!はやく思考停止しろ!」とばかりに

国や自治体を危険極まりない方向に舵取りをする政府や自治体首長が

ガンガン押しまくってきていますが、

こういうときこそ、一つ、落ち着いて座布団に座り、コーヒーを淹れて、

しっかりと考えてみたいものです。

「沈思黙考」、これ、

煽られっぱなしでアタフタさせられようとしている今の日本国の人々が

一番にしなければならないことでしょう。

沖縄タイムスのインタビューを一読しました。

随所で(なるほど)と思いました。

ここにコピーして、もう一度じっくり読み返そうと思います。

今日は一週間ぶりにインスタントじゃないコーヒーを淹れようっと。

沖縄タイムス

 戦後70年、日本国憲法が岐路に立たされています。安倍晋三首相は来年夏の参院選後の憲法改正に意欲を示し、第1段階の緊急事態条項や環境権の新設を足掛かりに、9条改正も視野に入れていると指摘されています。3日の憲法記念日を前に、2人の論客に憲法と民主主義の行方について聞きました。

  憲法について語る上智大学の中野晃一教授

法特集】平和な社会 9条が要に :中野上智大教授 2015年5月2日 

  • 憲法は国家権力にたがをはめ、よりよい社会への理想を掲げたもの
  • 安倍首相の改憲の狙いは9条。人権や教育への弾圧が始まっている
  • 国民への政府の基本的考え方は沖縄に現れている。連帯強め抵抗を

 憲法は戦後の民主主義にとって最大にして最後のとりでです。憲法や立憲主義とは、人類が国家権力にたがをはめて、人の尊厳が守られるよりよい社会をつくる理想を掲げたものです。「押しつけ憲法」との論もありますが、成立経緯で日本人が関わらなかったということはなく、洋服と一緒で、自分のものとして着こなしてきた。押しつけとは、そう感じた人、戦前、戦中の日本の形が良かったと思う人たちがうめき声をあげているだけで、国民が共有する必要はありません。

憲法がうたう理想は常に未完のものです。過去に人類が繰り返してきた戦争や搾取、人権抑圧、それらを未来に残さないという、我々の世界史的な役割を積極的に意識することが重要です。

安倍晋三首相は、来年の参院選後の「改憲」に意欲を示していますが、方向は「壊憲」というべきで、手法と中身はでたらめです。憲法は、国家権力を縛るためにあるという立憲主義を守らないといけないところまできています。

集団的自衛権行使についても、正規の改正手続きをとらず、解釈改憲ですませました。この手法は裏口入学のように粗暴で、改憲論者の学者や本来の意味での保守の人からも批判が出ています。一国の憲法をこんなに粗末に扱うと、この先、この国はどうなっていくのかと懸念され、信用されません。国際社会で一定の地位を保つということからも、およそやってはいけないことなのです。

中身では、自民党の憲法改正草案がありますが、およそ憲法とは呼べない代物になっています。立憲主義にのっとっていなければ憲法とはいえませんが、この大前提から壊れています。公益や公の秩序の許す範囲でしか権利を認めないと書いてみたり、奴隷を禁じる条項を削るなど、憲法のあり方の基本が理解できておらず、あるいは意図的に無視していると思います。

■「選挙独裁」の今

憲法学者からは明治憲法より質が悪いとの指摘があります。明治憲法は、当時の最先端であるプロイセンの憲法に学び、国の英知を結集して作りました。立憲主義は終わりのないプロジェクトで、人類は試行錯誤を続けていますが、自民党草案は明治の英知が作ったことさえできていません。

改憲の狙いは9条ですが、9条こそ憲法の中心なのです。戦争せず、平和であるからこそ、人権の順守や学問の自由があり、教育もできます。戦争ができる国にすると、それらの部分の弾圧が必ず始まり、すでに始まっているといえます。解釈改憲で憲法を空洞化させておいて、憲法は実態に合わないですねとの論法で、ほかの条項も変えないといけないといい、破壊が次々に進むことになります。そういう危ない状況です。逆にいうと、いかに9条が憲法の要であるかということを示しています。

「選挙独裁」という言葉が英国の政治をもとにできました。小選挙区制度をベースにすると、過半数の得票がなくても圧倒的な議席を獲得でき、個々の政策が支持されていなくても、支持されたものと政権が勝手に解釈して進めることを指しています。

選挙での自民党の支持は16~18%しかありませんが、圧倒的な議席を得ました。選挙時には争点隠しをした集団的自衛権行使についても、選挙後は信任されたと開きなおりました。支持されたものとして集団的自衛権行使を含む安保法制を進めるのは、国民をだまし討ちにするものです。現政権は民主主義の制度としてではなく、支配するためのゲームとして選挙にアプローチしており、まさに選挙独裁です。

安倍首相の特徴は、「日本を取り戻す」という選挙スローガンが典型的ですが、被害者意識が強く、何かを取り戻さないといけないという強迫観念みたいなものがあります。

首相にとっては第1次政権の失敗が直近の被害体験です。やり残したことをやりたい、積み残したことをやらないといけないとの思いが強く、集団的自衛権もそういう面があります。

米国が要請してきたということはあっても、日本の集団的自衛権の行使が、米国にとって今、火急なものかというと、そんな感じもありません。小泉政権時、米国はイラクやアフガニスタンで戦争をやっている状況で、日本に行使を求めました。小泉政権はできませんでしたが、安倍さんは当時、やりたかった。その積み残しを今実現しようとしていると考えられます。 

■周回遅れの発想

歴史修正主義も被害者意識に基づいています。小泉さんは靖国参拝を毎年繰り返し、中国や韓国との関係を壊しましたが、関係が壊れても日米関係さえ良ければあとは何でもついてくるといっていました。

当時の米国のブッシュ政権は、日本が軍事的貢献ができるようになるのであれば、歴史修正主義的な動きには目をつぶっていました。安倍首相は、今もそうだろうと、周回遅れの発想のまま歴史修正主義にまい進しているようにみえます。

米国は、イラク戦争の失敗や国力の低下、権威の失墜を踏まえ、単独行動主義を改めました。この間、中国が台頭しましたが、米国は中国を警戒はしても、経済パートナーとして、日本よりも重要な国とみなしています。米国はむしろ、日本が中国や韓国をいたずらに挑発して、無用な緊張を北東アジアでかもし出すことを苦々しく思うようになっています。

米国にとって、中国を挑発するような集団的自衛権よりも、TPPをのませるといったことが優先度としては高いでしょう。安倍首相は集団的自衛権をやる、TPPもやる、中国が主導するアジアのインフラ投資銀行AIIBに入らないなどと、米国にごまをすって、中国、韓国が反発する歴史の書き換えを進めているように思えます。米国は変わり、かつてのように目をつぶってはくれないことに気付いていないのかもしれません。

歴史修正主義は、戦後のサンフランシスコ講和条約体制に対する直接の挑戦という側面があり、米国の議会、ホワイトハウスの中でも安倍政権に対し強い口調の批判も出るようになっています。歴史問題で、安倍政権は米国からはしごをはずされる可能性があると思います。

集団的自衛権や安保法制の議論で公明党がブレーキ役になっているという見方があります。手法としては、ハリウッド映画であるようなグッドコップ(良い警官)、バッドコップ(悪い警官)の役割分担で、へたな漫才をみせているといえます。政策を進めるための演出の一部です。

ここまでやりたいと自民党がいえば、公明党が登場してトーンダウンさせて、さも危なくないものになったという形にみせる。安保法制の与党協議で、多くの国民は集団的自衛権の行使に際し、公明党が頑張って国会の事前承認が必要になったと、誤解しているかもしれません。実際はそういうことになっていません。政府、与党は国民の印象操作を確信犯的にやっているとしか思えないのです。

 

■知性使い思考を

これからの安保法制の議論では、そもそも論を忘れてはいけません。歴代の内閣は憲法の歯止めがあって集団的自衛権行使にはノーといってきました。イラク戦争の時に、集団的自衛権の行使が認められていたら、日本はどうなっていたか。我々が知性を使って考えることが何より大事だと思います。

政府は印象操作で「この道しかない」と言いますが、普通の知性をもって考えれば、この道しかないはずはないと分かります。おかしいと思ったら、その理由にこだわり、突き詰め続けるしかないと思います。

沖縄の基地問題についても政府は、威圧することで県民に無力感を持たせ、抵抗できない気分にしようとしています。人権や平等、地方自治など、憲法に照らしても、沖縄の過重負担の現実や政府の手法は許されません。米国など国際社会に、この現実が許されないものだと訴えて行く必要があります。

政府の国民に対する基本的な考え方は、沖縄に現れていることを直視し、県外の人はひとごとではないと理解すべきでしょう。同じ憲法下に生きる者として、根気強く沖縄との連帯を強め、抵抗していかないといけません。(聞き手=東京支社報道部長・宮城栄作)

    ×   ×

 1970年東京生まれ。政治学(日本政治、比較政治、政治思想)。東京大学(哲学)、英国オックスフォード大学(哲学・政治学)の両校を卒業した後、米国プリンストン大学で政治学の博士号を取得。99年から上智大学で教鞭をとっており、2011年10月に教授となった。

 


 

【憲法特集】なぜ改憲? 説得力欠く  :木村首都大准教授

憲法について語る首都大学東京の木村草太准教授

  • 首相が憲法に正統性がないと感じるなら、選挙に出るべきではない
  • 世界中の平和を全部引き受ける資源や実力を日本は持っていない
  • 選挙で勝った内閣は何でも決められる―が安倍首相の憲法観

 

憲法とは、私たちがこういう国家をつくりたい、という目標や理念を実現するための具体的な制度を定めたものです。

本来、憲法改正は国民の間で今の憲法のこの条項を変えたい、という気持ちや理念が広く共有されて出来上がっていくものです。今の状況で(国民に)そういう気持ちがあるのかというと、到底ないと思います。

安倍晋三首相は改憲に意欲的だと言われますが、なぜ改憲が必要なのか理由が分かりません。どんな人たちがこういう改正をしてほしいという声があるのだと丁寧に説明できなければ、説得力はなく、今の状況では個人の趣味で言っているだけにしか聞こえません。

「押しつけ憲法」との指摘がありますが、果たしてそうでしょうか。今の憲法は、日本の国家体制を明治憲法の時よりもっと民主主義的にしろという連合国総司令部(GHQ)からの要求を日本側が自発的にのんでそれに基づいてつくられたものです。GHQが提案したものに対して日本側も要望を入れて、二つの主体が交渉してつくったものです。

日本国憲法に正統性がないとするなら、1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を果たした時、今の憲法を破棄するという選択もあったはずです。でもそうはしていません。むしろ、その憲法に従って選挙をしたり天皇陛下が在位しています。

もし安倍首相が日本国憲法に正統性がないと感じるのなら選挙には出るべきではないし、首相を任命する天皇陛下に対し、(今の)天皇には正統性はないと言わなければいけません。でも、そこまでの覚悟は感じられないし、そうした主張はまったくしていません。

いわば、おいしく食べているものを、これは押し売りされたものだと言っているような状況です。押し売りされたと言っている割には随分おいしく食べているなという感じがします。

■9条前提に貢献

改憲派の皆さんが改正が必要だとして真っ先に挙げるのが9条です。

9条が果たしてきた役割を端的に言うと、外国に地上軍を派遣したり空爆をしたりすることがなかったということです。9条があることで、日本は国際貢献を求められる場面で、例えばインフラ整備や技術協力など、

武力行使によらない方法をいろいろ工夫する必要がありました。

9条改正論の主張には二つの流れがあります。一つは日本の安全のために改正が必要だという議論です。もう一つは世界平和に貢献するために必要だというものです。この二つを混同することは間違っています。

まず、日本のためにという点です。日本の防衛という点では9条は何も拘束していません。自衛隊や日米安保も9条の下でそれと矛盾なく存在できるわけですから、それを改正する必要性はありません。

もう一つは、(今の憲法では)外国に軍隊を送れないということですから、国際紛争があった時に武力行使をして、(同盟国から)あいつをやっつけてくれという声には応えることができないというのが今の憲法の制約です。

ただ、冷静に考える必要があります。日本は大国ではありますが、世界中の平和をぜんぶ責任を引き受ける資源や実力は持っていないわけです。ですから、どんなに外国で困っている人がいて、あいつをやっつけてくれという声があっても、その全てに応えることはできないわけです。

その状況でどうするかということです。場当たり的に選択的に紛争に介入していくという方法と、全てにおいて介入しないという方法があります。すべてに介入しない方法の方が日本独自の国際貢献というものができるはずで、9条を前提とした国際貢献の可能性をもっと考えるべきだと思います。

仮に9条を改正して海外で武力行使ができるようにするには自衛隊装備の大幅な増強が必要になります。そのためには年間数兆円の予算が必要になってきます。数兆円かけてイージス艦をもう1隻増やすのか、あるいはそのお金で難民支援するのか。どっちが国際貢献になるのかを考えてみれば、答えは一目瞭然です。

■論理弱い賛成派

安倍政権が進めている安全保障法制論議について考えてみます。官邸からいろんな情報がたくさん流されていますが、大事なことは、自衛隊を軍事活動のために海外に送ることをどういう基準で認めるべきなのか、あるいは認めないべきなのかという議論だということです。

この論点では(安保法制に)反対派の関心の弱さよりも、賛成派の論理の弱さの方が目立ちます。外国での戦闘行為を援助するわけですから、当然そこでは殺される人もいるし、日本がその一員として恨みも買うこともある。自衛隊員は危険な任務にさらされることになります。それがリアルな状況です。

その時に自分たちがやったことにどれだけリアリティーが持てるか、どれだけ責任感を持てるかが日本国民全体に問われています。責任感を持てないようであれば、その政策はやめるべきです。今のままでは、自衛隊員が死んでも、現地の人が死んだとしても、遠い外国で起こった事故ぐらいのことにしか多分受け止められないのではないかと思います。

安倍首相の憲法観を知るには、昨年7月の集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定の解釈をめぐる対応を見ればはっきり分かります。

閣議決定の文言自体は、日本と外国が同時に攻撃を受けている時に反撃できるという趣旨の文言なので、個別的自衛権の再確認をしたとも読めます。そう読むのが自然な文言になっています。

だが、安倍首相は必ずしもそう解釈はしていない。場合によっては日本が攻撃されていなくても機雷掃海はできるとか、ミサイルの撃墜もできると言います。その一方でイラク戦争やアフガン戦争には参加はできないとも強調しています。イラク戦争の状況で機雷がまかれた場合はどうなるかと問われれば、矛盾した発言になる。

閣議決定の文言に対する首相の解釈は極めて曖昧で不正確な状況です。そこにある種の憲法観が表れています。文言なんてどうでもいい、自分たちで決めた閣議決定も含めて憲法の文言なんかは関係ないのだと。内閣あるいは選挙で選ばれた人たちが判断をして、それで審判を受ければいいのだというタイプの憲法観です。

■憲法使い阻止へ

こうした安倍首相の憲法観は名護市辺野古での新基地建設問題での対応にも反映されています。

いくら地元が反対しても、その声には耳を貸さない。選挙で勝った内閣は国民からの白紙委任を受けて何でも決めることができると思っています。それが安倍首相の憲法観だからです。

辺野古新基地問題では、安倍政権が地元の同意が必要のない事項だと認識していることが最大の論点だと思います。沖縄側はその点をはっきり否定して、法制度的に、これは地元の同意が必要な事項なんですよということを突き付けていくことが大切です。内閣と米国が基地を辺野古に移したいと決めたが、それが国民代表である国会の承認が得られているのかということを厳しく問いかけるべきです。

私が提起した辺野古基地設置法を議員立法で提案する動きも出ています。それがちゃんと提案できた場合、国会が否決すると国会としては辺野古に造るなという意味になります。そういう事実を持って内閣に対し、国会が否決をしたではないかと沖縄県側は言いやすくなります。

逆に可決してくれれば、憲法95条の住民投票になります。それなら沖縄に決めさせてもらいますとなります。そこで否決されれば法律は成立しないのですから、移設は否決されたということになります。

制度的に沖縄県の同意が必要な事項だということをもっと理論武装して発信していく必要があります。新基地建設反対が正しいことだと確信を持つためには憲法に基づいた理念と理論で武装しないといけません。それが憲法を使うということなのです。(聞き手=編集局社会部長・稲嶺幸弘)

   ×   ×

1980年横浜市生まれ。憲法学者。東京大学法学部卒業。同大助手を経て、2006年から首都大学東京准教授。研究テーマは思想・良心の自由、平等原則。主な著書に「憲法の想像力」など多数。本紙で「憲法の新手」(第1、第3日曜3面)を連載中。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=114104(中野晃一)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=114105(木村草太)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「皮から作る包子(肉まん)」2015年5月4日(月)No.1351

2015-05-04 21:18:32 | 中国帰国者

今日は5月4日、96年前の今日、

北京大学3000人の学生たちが日本の「21か条の要求」撤回、

日本が奪った山東省の旧ドイツ利権の回収を要求して立ち上がった記念日で、

中国では「五四青年節」(青年の日)と名付けられています。

 

その記念日とは全く無関係ですが、

大阪淀川区十三の「帰国者の友」では、連休の特別講習会が開催されました。

青木雅子中国語教室の「皮から作る水餃子」(4月)に続き、

「皮から作る包子(肉まん)」です。

中国語教室に通う学生たち、中国語会話の先生方、社会人や

肉まんに惹かれて参加した人々十数名が、

和気藹藹(あいあい)とお喋りしながら包子作りに挑戦しました。

肉まんの皮は薄力粉+ドライイーストで簡単にできました。

(電気カーペットの上に鍋ごと置いて、上から服や座布団を掛け、1時間放置)

旗袍がとてもよく似合う講師の青木雅子老師(帰国者二世)です。

 粉をこねて発酵したので、皮作りに着手しました。

粘土で遊ぶのと似ています。

今日は、セロリ肉まん、玉ねぎ肉まん、キャベツ・白菜・しらたき肉まん以外に、

棗(なつめ)マントウの作り方も教わりました。

棗は女性の健康にとてもいい果物だと、

参加されていた山東省出身の若い中国語の先生が教えてくださいました。

可愛いマントウができました。

 

青木老師の愛娘、愛佳ちゃん。

お母さんに連れられて初めて「帰国者の友」に来たときは、

まだ4歳だったのに、もう今は5年生!

今日も、受付をしたり、粟粥を混ぜたり、肉まんの皮をこねたり、

赤ちゃんの世話をしたり…、

お母さんの立派な助手を務めていました。

 

この二人は肉まんと聞いて駆け付けた人たち。どっちかが我が娘です。

後ろのホワイトボードは3月で店仕舞した中高生向けの塾「寺子屋」の名残です。

 

左は手作りラー油、右はセロリ、人参、カシューナッツ、ピーナッツの和え物。

この和え物は真似して自分でも作りたいです。本当に美味しい!

 

蒸し肉まん以外に、こんな焼き肉まんも!

「生煎包」という名前だそうです。焦げたところがカリッとして美味しかったですよ。


お母さんたちが作ったり、食べたりしているうちについに寝た小娃娃(赤ちゃん)。

右の赤ちゃんは賑やかな環境ではなかなか寝られません。

先に寝てしまった朋友にくっついています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「凄い!憲法改正反対集会」2015年5月3日(日)No.1350

2015-05-03 23:50:20 | 反戦平和

首都圏はすごいなあ!30000人が集まるんだもんなあ。

下の写真は中国の人たちにも是非見てもらいたいです。

真実を探すブログ さんのブログより転載させていただきました。

 

2015.05.03 20:37

【凄い】憲法改正反対集会に約3万人が参加!大江健三郎氏は安倍首相を呼び捨て批判!「彼が話したことはウソだと思う」

5月3日の憲法記念日に合わせて全国各地で憲法改正に反対を主張する抗議集会が行われました。横浜市の護憲集会には臨港パークを埋め尽くすほどの大人数が集まり、多くの著名人達が安倍政権の政策などを強く批判。
ノーベル賞作家の大江健三郎さんは初めて公の場で安倍首相を「安倍」と呼び捨てにして、「彼がアメリカ両院で話したことはウソだと思う」と語っています。臨港パークの集会に参加した人数は主催者発表で約3万人でした。

他にも京都や北海道、愛知等の全国各地で同じ様な護憲を呼び掛ける集会が行われています。一部では右翼団体による妨害行為もありましたが、基本的には多くの方が参加して大成功となりました。

 

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6369.html

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あまりにもったいない死」2015年5月2日(土)No.1349

2015-05-02 13:14:48 | 反戦

江西財経大学の施芳芳さんの卒論「日本人の〈もったいない〉考」がかなりまとまってきた。

何回となく草稿のやり取りをしていたが、その中で彼女は、

社会にとって貴重な存在が道半ばに死を迎えることをもったいないことと言い、

その例として後藤健二さんの死を挙げていた。

私も全く同じ気持ちだ。

まだ遺体も戻っていないのに

安倍・菅の日本政府は大切な国民の遺体のことなんか全く歯牙にもかけていない。

第一、生きている時から助ける気もさらさらなかったのだ。

こんな政府を支持する国民の愚かさがたまらない。

このブログにも、「後藤はよけいなことをしたから殺されても仕方がない。

ジャーナリストは自分の仕事だけをしていればいいんだ。」

という、とんちんかん、且つ、悪意に満ちた冷酷なコメントがあったが、

大切な命が危険に曝される状況を伝えるとき、伝える者もまた危険に曝される。

しかしそれを押して取材しなければ世界は真実を知ることができないのだ。

それがジャーナリストの仕事だ。

それ以前に日本政府が湯川さん救出に全く動かなかったために

後藤さんはやむなく行動したのである。

そのことを不問に付す愚か者は自分が政府に見捨てられるときにも

同様のことが言えるだろうか。

いったい政府は何のためにあるのか、基本に立ち返って考えてもらいたい。

今日のNHK解説委員の柳沢秀雄さんへのインタビュー記事も、

後藤さんの死をもったいないと思えない日本人にはサッパリ響かないのだろう。

 

―――東洋経済オンライン 5月2日(土)

NHK柳澤さん、「後藤さんとの思い出」を語る (一部割愛)

 後藤健二さん殺害が報道されたのは2月1日(日)早朝だった。翌2日(月)の朝、後藤さんと親交があったNHKの柳澤秀夫解説委員はコメンテーターを務める情報番組「あさイチ」の冒頭でコメント。柳澤さんの言葉はネット記事が引用して大反響を呼び、2日間で500万人以上が読む異例の事態となり、新聞記事でニュースにもなった。 


2月2日「あさイチ」冒頭の柳澤秀夫解説委員のコメント
冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ……。
僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない……。
われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは……。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。

 「あさイチ」の冒頭。わずか1分あまりの短いコメントだったが、多くの人たちの共感を呼んだ。 

 柳澤さんは1990年から1991年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残ってレポートした。アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局による検閲を受けながら英語で伝えた記者レポートは、各局のテレビ記者たちの間で今も語りぐさになっている。 

 このコメントの件でメディア取材は受けてこなかった柳澤さんだが、『GALAC』の取材はとインタビューに応じてくれた。

■ 撮ってきたものが出ることが大切

 ──後藤さんのエピソードで一番心に残っているのは? 

 一番、僕が思うのは、後藤君というのはこういう事件の後でメディアのフォーカスが当たって、ある意味で言うと、英雄視されたり、神格化されるような雰囲気があるけど、そういうふうに言われるのを一番快く思っていないんじゃないかなってことです。

 非常に控え目だったし、自分がこういうことになって、まわりから、自分のやってきたことを評価されるのはうれしいにしても、それ以上に持ち上げられることを、僕が知っている後藤君だったら、嫌がったんじゃないかな。きっと今会ったら、なんか頭掻きながら、「あー、やっちゃった~」とか「どじ踏んじゃった~」と言うぐらいの人だったというイメージを持っていました。なので「あさイチ」のなかでも、ああいうコメントをしました。

 彼は「撮ってきたものが出ることが大切なんだ」と自分自身がテレビに出ることやリポートすることにはこだわらなかった。「撮ってきたものが今のイラクの実状を伝えるものであればそれでいいんです」と言っていました。自分で向き合っている紛争地、戦争の現実を取材する上での心意気を、そうした言葉から強く感じたことがあります。

 後藤君は被写体を通して見えてくる現実と、常に「会話」しているような感じでした。僕らがドキュメンタリーを撮ったり、取材する時には被写体と少し距離を置いて、わりと客観的に、ある意味「冷たく」撮っている。でも彼の場合には撮っている被写体との間でいつの間にか「会話」が始まっている感じがある。つまり、単にそれを記録することを超えて、訴えかけてくるものを自分の中にも取り込んで、もう一回キャッチボールをしながら、それを第三者に伝えるという姿勢がありました。

 イラク戦争で、彼はサダム・フセインの生まれ故郷のティクリートが主戦場になった時にかなり前線まで入った。車で移動中にアメリカ軍が襲撃された現場に遭遇し、車を降りてカメラを回し始めたんです。映像を見るとその直後、アメリカ兵が彼に銃口を向けて、地面にひれ伏すよう命じたんですが、彼はアメリカ兵に向かって「I am Japanese Press. I am Kenji Goto.」と言ったんです。

 それに対してアメリカ兵が手を振って、「No Press!」と叫んで、最後は後藤君が「わかった、わかった」とその場を離れるんですけど、そのシーンは、撃たれるかもしれない緊迫した状況を捉えたすごい映像だった。後藤君の映像で一番、記憶にあるのがそのシーンですが、そういうことも含めてイラクで何が起きているかについて、彼は深く知り得たし、それを映像を通じて伝えたかったと思います。

 ──取材対象と「会話」しながら撮る、というのは具体的にはどのようなことでしょうか? 

 後藤君は、バグダッドの市内で戦闘に巻き込まれて亡くなった息子の遺体を埋葬することができなくて、自分の家の中に埋めなきゃいけないという家のお父さんをカメラで撮影しながら会話をするんですよね。

 そういう時に僕らは普通、顔を真正面から撮って、なぜこうなったのかという説明を求める聞き方になるんですけど、そうじゃないんですよね。被写体として映っているお父さんの気持ちに入っていくように、回り込みながら、同じ目線に立って、何が起きているのか撮るという。その時の彼は、普通のジャーナリストやカメラマンが記録する以上のことを実践していたような気がするんです。それは僕らができるようでできないことで、一種、彼のやさしさだったと思います。

■ 「戦場ジャーナリスト」と呼ばれること

 彼はよく「戦場ジャーナリスト」と言われることは嫌っていたと聞きました。たしかに修羅場をくぐっていますから、後藤君のこれまでの経験、経歴を考えると、本当に前線を走るフリーランスのジャーナリストだと思うけど、彼自身はそれでいながら、いさましいフロントのドンパチや、爆弾が落ちてるところを逃げ惑うような状況を伝えるよりも、それがいったい何を引き起こしているのかというところに軸足を置いていた。

 つまり、戦争で一番つらい思いをするのは誰なんだ、それを伝えるのが自分たちの仕事だ、と思っていたのではないかと思います。僕自身もまったく同感で、前線の銃撃戦や爆弾、ミサイルが炸裂するところを取材したり、そこで自分がリポートするみたいなことは、それは必要な部分なのかもしれないけれど、一番重要なのは「それで何が起きているか」ということ。それを彼は一番伝えたかったと思う。それを考えると胸がつまっちゃいますけどね。

 ──後藤さんとはどのような関係でしたか。ウマが合いました? 

 なんか波長が合いました。冗談話を含めてね。非常にいい青年というか若者というか。最初に会った時代を考えると今から20年近くも前だったから彼も30歳になるかならないかで、本当に良い若者だなっていう感じでした。

 自分たち組織に属す人間と、フリーの人たち、同じような気持ちを本当に持てるかというなかで、後藤君とはやけに波長が合うと感じました。つき合いの長いフリーの方って何人もいますけど、いつもみんな言うのは、きれいごとで自分たちの仕事を語ってほしくないと、俺たちやっぱりあそこのヤバいところへ行って仕事をしてきてそれで稼いでいるんだと。それが俺たちの仕事なんだと。

 だからそこを「報道」「ジャーナリズム」っていうことで、潔い、格好良いところで括られると、ちょっと違うかもしれない。みんな異口同音にそういうことを言う。結果的にどうなるか別だけど、何かあった時には「自己責任」という問題も「百も承知だ」と。それが我々がやる「仕事」なんだと、そういうことなのだと思います。

■ 我々の仕事もリスクや危険とは隣り合わせ

 僕らの仕事って危険がつきまとうのは当たり前の話であって、消防士が火消しに行けば火事場で火に巻き込まれるかもしれないし、警察官だって、強盗を追いかけていれば、逆に命を落とすかもしれないというのをわかったうえでやっている。

 そういう点で、我々の仕事もリスクや危険とは隣り合わせだと考えていくとすれば「ただ単に危険だから行かない」という選択肢は違うというのが僕の持論です。そういう選択をするんだったら看板下ろしちまえ、と昔から言っているんです。自分がジャーナリスト、報道にたずさわっているなんて、おこがましくて言えなくなる。

 ただ本当に傷ついたり死んだりしたらもう耐えられないことですから、ある判断というのは当然伴うものだと思います。でもそこがいきなり、「危ないから行かせない」「危ないところはフリーに行ってもらう」「撮ってきてもらった素材で番組を作る」というような短絡的な発想で番組やニュースをつくっていくことはやるべきじゃない。

 もしその中でやる手法があるとしたら、それは自社も、フリーも問わず、その現場で一番、語るにふさわしい、伝えるにふさわしい人がその言葉で語ってほしい。それでないと後藤君が言っていた「本当に伝わるべきことが伝わればいいんです」というところが生きてこないような気がするんですよね。

 ──人質としての後藤さんの映像が流れた時にはどのような印象を持たれました? 

 正直、あのオレンジ色の服を来て出てきた映像を見た時には……何て言っていいかわからないくらいのショックだったですね。

 これまでの外国人ジャーナリストの例もあるので、そう楽観できる状況ではないというのは最初に思いました。でもその後の拘束の映像が出てきて最終的に悲惨な結末を迎えるまでには、ひょっとしたら大丈夫かな?  という期待も正直、一瞬、ありました。

 ──映像での後藤さんの表情から、どんな心境なのかと思いましたか? 

 よく言われる思い詰めた、というか、彼のあの表情というのは自分の感情を完全に押し殺した顔に見えましたね。自分の感情がこもってしまうと、それはヤツらの思う壺ですから。

 むしろ、自分はメッセンジャーとして要求を語るだけ、と淡々としていた。僕はずっと後藤君の声だと思っていたし、彼は、自分の感情を押し殺して、淡々と、とにかく、与えられたメッセージを読み上げている、という……(長い沈黙)。

 だってひょっとしたら、あと1時間後、半日後、自分はどうなるかっていう、ものすごい緊張状態に置かれている、というイメージでしょ。それぐらいに張りつめた状況だけれども淡々と機械的に、与えられたことを口にしているというその緊張の度合いというのは、昔、イラクでアメリカ兵に銃口を向けられた時に、自分は日本のプレスだと名乗った時の声とどこか共通するような、緊張感が極まったようなものに聞こえましたね。


■ 後藤君が突っ走って伝えようとしていたこと

 まあ、ご存知のとおり、あのニュースの後は邦人保護の話だとか。救出の話とか、僕から見るとピンとこない話がニュースの中でヘッドラインになっていた。後藤君が一番あそこで伝えたかったことって、最後の瞬間って何考えていたのかわからない部分があるにしても、シリアで何が起きているかということと、とんでもないことが起きた時につらい思いをするのは誰だってこと。それを伝えたいのに、どこからも目を向けられずに、何かあさっての方向に話が向かっているような気がしていたという感じがものすごく強かったですね。僕は……。

そう考えればなおのこと、後藤君が何考えていたのか。彼が一番何伝えたかったのか、そこに収斂していたような気がします。

 ──後藤さんは大学の卒論で「湾岸戦争の取材」をテーマにしたとか。

 彼がよく言っていたんですよ。柳澤さんが湾岸戦争に行った時はどうだったのかと。ちょっとすれ違いざまに会う時に、湾岸戦争で取材した時って、あれはどういう形でやったんですか、すごかったですね、とか。彼一流の語り口でね。よく聞かれた記憶があるんですよ。

 ──湾岸の頃って、フリーの人はまだ……? 

 入る余地はなかったですよね。

 戦争自体の形が湾岸戦争の当時と、イラク戦争の頃から変わってきて、今のシリア、イラクはまったく違うものだと思います。昔はまさに国と国との対称性のある戦争で、どちらが敵でどちらが味方かという、戦場の一種のルールみたいなものがあった。

 湾岸戦争の時にはイラクの情報省がビザを出す時に、何を考えていたのかというと、自分たちの宣伝効果を一番アピールできるメディアを選ぶということ。で、開戦の時はCNNを残した。僕が入った時には17人の外国人ジャーナリストがいましたけど、それもある程度、メディアの発信力のあるところを選んでいた。

 だからフリーランスというのは当時は発信力ということでは力を発揮する場がなかった。

 一方のアメリカにしても、あの時は従軍を認めていませんでしたけど、サウジアラビアのリヤドの司令部に記者を集めて、そこで情報発信する。そうなるとフリーが入る余地は、大手メディアが目を向けないところに入っていくしかない。

 それで後藤君が西アフリカに入っていったのは無理ないなあと思った。リベリアですよね。大手のメディアが目を向けない。国際的にも、大変なことが起きているんだけどメジャーに取り上げられないような。そういうところを、石を剥がさないと外からは見えない問題を、懸命にひっぱり出すような……。


■ 定点観測という強み

 ただ、そうはいっても長年お世話になっているフリージャーナリストの土井敏邦さんと初めて会ったのは、アラファトがガザに凱旋したときで、あのぐらいの時代から、フリーの人たちは継続してとにかく入って来るようになった。彼らはいったん照準を合わせたら、そこからけっして目を離さない。何度も何度も繰り返し入って、定点観測的にやっていく。

 僕らのような大手メディアだと、何か起きるとそっちのほうに目を向けて、渡り歩くような感じだったですけど、そうじゃなくて、一度自分でテーマを見つけると、そこにずっと入っていく。

 僕はけっして戦争を好きなわけでもないし、戦争ほど嫌なものはないと思っているけど、でもこういう仕事をしていると、そこの中に究極なものがやっぱりある。戦争とか前線とか紛争のなかには、いつも繰り返される、どうにもいたたまれない不条理なものが凝縮されていると、それを伝えるのが僕らの仕事だと思う。これはどんな時代でも、それが僕らに課せられた仕事だろうと思う。

 ──「あさイチ」での「この機会にそういうことを考えていかねばならない」という言葉が印象的。「私たち自身が答えを探していかねばならない」ということですね? 

 そうですね。考えていく、というのが大切だと思うんですよね。簡単に答えが見つかるわけじゃないし、そういう方法がどこかにあるわけじゃないけれど、考えることを止めたらおしまいだし、考えつづけることがとにかく大切なことだと思う。考えることをあきらめちゃ、絶対にいけない。

 四六時中考えているのはつらいし、夕方になれば夕飯、何食おう、とか、日常生活に埋没していくことも無理のないこと。でも、それは、時々でもいいから、どこかに、自分の記憶の中に呼び戻して、考えていかないといけない。今度の事件は、そういうことをわれわれに投げかけているのかなと、そんな気がしてならないんです。

水島 宏明

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150502-00068598-toyo-bus_all&p=5

―――――――――――――


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする