↑大浦湾、瀬嵩の浜近くまでやんばるの豊かな森が迫っています。
中国から冬休みで帰省する前、
「沖縄の新基地建設に反対している人たちに連帯するため沖縄に行く」
と言ったところ、菏澤学院の教え子の一人から
「平和を愛する日本の人たちの活動に賛成します」とメールが来ました。
また、青島ECCの田先生も、
「ぼくも座り込みに行きたいぐらいですよ」
とおっしゃっていました。
↑瀬嵩の浜。「ボーリング調査が終わったら直ちにフロートを撤去しなさい」という
翁長知事の指示を無視し、まだそのまま放置している防衛局。
以前の職場、江西財経大学の学生・卒業生たちからも、
「母は、『絶対戦争をしたらだめだ。せっかくここまで経済発展して生活が安定してきたのに、
また戦争になったら今までの苦労が全部無駄になってしまう。』と言っています。」
「日本で平和のために行動している人たちのことを会社の朝会で紹介しました。」
「日本を知れば知るほど、日本の人々が平和を愛していると分かりました。」
「戦争を煽る政治はだめです。平和を願うことは人間として当たり前のことです。」
等々、私は中国で人々の平和を愛する声しか聞いていません。
つまり、中国の庶民は誰も日本を攻めよう、攻めたいなどと思っていないのです。
これは、ここ5年間のブログの中で私が何度も書いてきたことです。
「中国が攻めてきたらどうする」と、日本政府は煽っていますよね。
実はそれと同じことが、中国にもあります。
中国杭州郊外の農村の民宿に泊まった時に、マージャンをしていたおじさんたちから、
「今度日本が攻めてきたら、中国は絶対負けない。
中国は最新兵器を備えているからな。」
と言われたことがあります。
また、昨年の天津化学工場の爆発のときには、
「日本がまた攻めてきたのかと思った!」
という感想も聞かれました。
尖閣諸島の国有化問題以来、
日本が再び領土拡張に乗り出してきたと感じている人も多いのです。
それは日本が1972年周恩来・田中角栄会談以来の棚上げ論をかなぐり捨てたからです。
中国がどんどん日本の領空を侵犯しているじゃないかと言う人がいますが、
その数値は時系列で見なければ真実が見えません。
また、領海侵入と領空侵犯では意味が異なります。
領空侵犯は2012年、
当時の石原慎太郎東京都知事の東京都買い上げ画策と、
それに追い詰められた野田佳彦首相が、
あれほど胡錦濤主席が釘を刺したにもかかわらず、
9月に尖閣国有化した後、12月に初めて為されたことです。
あの国有化宣言は、
長年中国で頑張り続け、一歩いっぽ地元の信頼を築いてきた
日本人ビジネスパーソンたちの心にも刺さりました。
「O・K・Y」・・・〈お前が、来て、やってみろ〉という言葉が囁かれたものです。
今でも私は、あの時、周恩来・田中角栄のように、
野田首相が胡錦濤主席と腹を割って話し合い、外交で解決できなかった
その政治的手腕のなさを返す返すも残念に思います。
胡錦濤は江沢民とは違います。
そして何度も中国はサインを出していました。
話し合いが実現すれば何とかなった可能性があったのです。
・・・・・・ため息。
「中国が攻めてきたらどうする」
「また日本が攻めてくるかも知れない」
これらの発言の後ろに、
国家の威信と、戦争させたい人たちの腹黒い計算を感じます。
どこの国でも、庶民は誰も戦争で人を殺したり、殺されたりしたくないのです。
「中国の庶民はみんな平和を愛しています。」
キャンプシュワブ前で座り込んでいる人たちにそう報告すると、
期せずして拍手が沸き起こりました。
何よりも平和を希求しているのが、
辺野古基地建設反対の闘いを続けている人たちです。
「国家が煽動してもだまされないで、
庶民は庶民同士、仲良くしないとだめだよね!」
と声をかけてくれる人が何人もいました。
「昔から沖縄は中国とずっとつながりがあるのよ。
琉球は日本からは侵略されたけど、中国からはされていない。
私たちが中国に敵愾心を燃やす理由など一つもないわ。」
と、語ってくださった年配の女性もいました。
この言葉をまた、中国に持って行こうと思います。
「いちゃりばちょーでー(出会えば友達)」
「ぬちどう たから(命は宝物)」
とともに。