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kusama@tate modern




草間彌生さんはわたしの尊敬する芸術家の1人である。


と、玄人っぽく言いたいところだが、そうではない。

わたしが草間彌生について知っていることは、わたし自身の凡庸さゆえに「何かちょっとズルい」と感じたり、「壮絶な人やなー」と思っていると仲のいい友だちに密かに話せる程度で極少なかった。
また特にそれ以上知りたいとも思っていなかった。


今回も、「テイト・モダンでやっている」「ルイ・ヴィトンがスポンサー」「近作をふくめ、かなりの量の作品がまとめて見られるらしい」などというフリルとレースがついていたからこそ見に行ったのである。
そうだよ、わたしは夫をして「美術館に連れて行きさえすれば機嫌が直る」と言わしめるレベルでアート好きだが、所詮ミーハーなのである。

正直に言おう。
もし、会場が無名で、スポンサーがファッションブランドではなかったら、わたしは見に行かなかった。


だからこそ、「一般大衆にとって優れた芸術とは何か」ということについて考えた。

つまり、モナリザは、すでに超有名で人類最高傑作のひとつと専門家が言っているからその前に絶え間ない人ごみができ、人々はあの謎の微笑みを絶賛するのかもしれない。ガイドブックに見どころと書いてあるから、パリに行ったらモナリザくらい見なくてはと言われているからこそ人は見学に行き、そして感心して見せ、「思ったより小さかったけどすごかった」などと述べるのかもしれない。

実体験を述べると、わたしがモナリザの実物を初めて見たのはすでに四半世紀以上前で、わたしの記憶の中では「モナリザのアウラに呼ばれるようにしてその前に立ちつくした」ということになっているが、本当に本能が呼ばれたのか、予備知識でそう感じたのかそれはもう分からない。


モナリザは傑作だ、と思うのはこの絵に関する予備知識がなくてもそう思うのか(予備知識のない子供で実験できないだろうか)、ハイブラウなフリルとレースゆえなのか。
草間彌生を絶賛して仕事を依頼するのは(彼女は最近大阪あべのの複合施設に壁画を描き、3、4年前はKDDIの携帯電話をデザインした)、欧米での評価がめちゃくちゃ高いからなのか、あるいはみんなが本当にすばらしい芸術と感じているからなのか...


もうひとつ、「芸術家は世界をどのように見ているか」ということも少ーしだけ分かったような気がした。

結局、行ってよかった。わたしがアートについて何も分かっちゃいないということが分かったから。わたしを誘ってくれたフリルとレースに感謝。



昨夜、寂れた日本庭園の飛び石がスモークサーモンでできている夢を見た。わたしは「なんやあれ、鮭が生まれた川に帰ろうとしてるん。あははは」とつぶやいていた。「鮭」はフロイト的にどんな意味があるのだろう? もしも、もしも、わたしにアートを展示する機会が巡って来たら、これを作品にして飾ろうと思った。
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