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Brugge Style
クラシックバレエに見る王子の...
ロイヤルバレエで「ラ・シルフィード」を観た。
吉田都さんがシルフを踊るのを見て以来、この演目を鑑賞するのは久しぶりだ。
ハナシの筋が分かりやすく(さすがロイヤルバレエ・笑)、コスチュームが抜群に美しく、娘もすごくよかった!と言った。
ところで。
クラシックバレエの主役の王子様や色男たちには共通点がある。
見目麗しく
地位があり
結婚を控えていて
しかしその結婚に疑問を持っており
自分自身を見失っていて
退屈している
白鳥の湖のジークフリード
ジゼルのアルブレヒト
ラ・バヤデールのソレル
ラ・シルフィードのジェイムス...
そこで徹底的に迷惑を被るのが王女様や妖精やか弱い村娘だ。
コッペリアのフランツもドン・キホーテのバジルも女性に対して煮え切らない態度をとるところは似ているが、相手を死なせたりはしない。フランツとバジルと上の4人には決定的な違いがある。フランツとバジルには守るべき地位も財産も家名もなさそうなことである。
つまりクラシックバレエ世界で相手の女性を死なせてしまうのは必ず「地位と名誉ある男」なのだ。
例外的に眠れる森の美女はハッピーエンドだが、デジレ王子は登場場面が極端に少ないためにボンクラ度をあらわにする時間がないだけのように見える。だってさあ百年間眠り続けた姫の幻を見せられただけで命をかけてしまうなどちょっとどうなんでしょうか、
中二病の男はもしかしたら「二次元」的なものを追いかけるものなのかもしれない。
退屈した地位と名誉ある男は、現実の女よりも妖精や白鳥にされた女に何かを投影してしまうのかもしれない。
アイドルやキャバ嬢に夢中になってしまうのも同じ理由かしら。わたしには分からない。
コンスタンの小説「アドルフ」は地位も才能も将来もコネもあるにもかかわらず、自分の行動の一切に責任が持てない性質から最後は美貌の女を死なせてしまう男の話である。
彼は「私は決して打算で行動したことはない、常に真実で自然な感情によって導かれてきた」のにどうして自分と他人を不幸にすることしかできないのか、と悩む。
クラシックバレエではまさにアドルフのような男が登場することが多い。
そりゃもちろんストーリーをぐいぐい進めていくためには、多事多難な恋愛の方が都合がいい。自分を愛した女が愛ゆえに死すというのは男のナルシシズムをくすぐるだろう。
でもクラシックバレエの演目も「アドルフ」も「命をかけて女に愛された。でへへへ」とかそんな軽薄な話をしたいわけではなく、そこにはある理由がある。
ひとつは女を死なせてしまう男に必ず地位と名誉あることから、「地位と名誉か、それとも愛か」である(もっと言えばその選択を迫られている状態から成長せよ、青年期と決別して大人になれ等)。地位や名誉や人生哲学や、何を守ろうとするにしろ、相手を死んでしまうほど傷つける人間にはその地位さえもふさわしくない、とか。
あまり考えすぎてもクラシックバレエの幻想的な楽しみがなくなってしまうかもしれないが。
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