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白無垢とは




花嫁衣装のひとつである白無垢が先週の話題になった。

白無垢の無垢は梵語で「汚れの無い純真を指す」(ウィキペディアより)そうである。

ネットのニュースやSNSは、わたしの見た限りでは、「婚家の色に染まりますという無垢な状態」を表すのが白無垢であるから、再婚者が白無垢を着用するのは恥知らずである、と書いていた。


結論から言うと、花嫁は再婚であろうが再々婚であろうが花嫁は「白無垢」で正解だと思う。


以下、理由を述べる。


真っ先に思い出したのは、わたしの大好きな小松和彦さんの「異人論」の一章、「簑笠をめぐるフォークロア」だ。


まず、花嫁花婿が朱傘をさして登場したことを思い出そう。

この傘は、雨模様の結婚式ゆえのロマンティックな相合傘でもなんでもなく、率直に「旅装束」なのである。
花嫁のヘッドピース、角かくし、あるいは綿ぼうしも、調べたらすぐに分かるが旅装束の変形。
これらは花嫁が、社会構造から一時的に離脱し、別の社会構造の中に入っていく”死”と”再生”の「旅」の途中であることを表している。


「実家を離れるところから始まり婚家に入るまでのいわば物理的通過の期間に、娘(実家の成員)から嫁(婚家の成員)への社会的通過の期間に笠をかぶる花嫁は、花嫁入り道中という形を通じて、実際の旅とともに、象徴的な旅をしている」(「異人論」210頁)


つまり、(従来の結婚式の主題として)女は結婚式の日に、慣れ親しんだ人生を捨て(死)、新しい人生を歩み始める(再生)。そのための覚悟を促すと言えばいいか、通過儀礼を受ける。であるから、その移動中には儀礼として旅装束をまとったのである。


小松和彦さんは、一つの解釈を他方まで広げるのは危険だと戒めておられるから注意しつつ、以下はわたしの考えだが、白無垢の白は無垢さの表現ではなく、直球で死人の装束と同じ、物理的、社会的、精神的空間を移動する人間のための旅装束、通過儀礼のための服装であるということができる。

古代から祭服、(室町時代末期から江戸時代にかけて)花嫁衣裳、出産、葬礼、経帷子(きょうかたびら)、切腹の衣服として用いられた(ウィキペディアより)。そういう立場の者は、折口信夫の言うところの「蓑笠をつけるとその人は素性の違った性質を帯びる」。つまり、彼らはその間、神格を帯びつつ「変化」の旅をしている途中なのである。



白無垢のピュアな白さだけにこだわっていたら見えてこないものがあるのかもしれない。
あの断然美しいが、ちょっと立ち止まって考えたら奇妙なデザインのヘッドドレス、角かくしや綿ぼうしも込みで見ると、他に見えてくるものがあるのではなかろうか。


なーんて。ちょっと考えてみた。
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