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Brugge Style
akram khan's giselle
ああ、興奮が冷めない。
アクラム・カーン/Akram Khanの新作「ジゼル」を、イングリッシュ・ナショナル・バレエ@サドラーズで。
カーンが料理する古典バレエ「ジゼル」、英国中のダンスファンが製作アナウンスのあった瞬間から楽しみにしていたに違いない。
以下「ジゼル」の筋を簡単に。
オリジナル:
ジゼルは心臓は弱い村娘。身分を隠した貴族の青年アルベリヒトの正体を知らずに彼と将来を誓う仲。しかし、ジゼルに恋する森番のヒラリオンによってアルベリヒトの身分は暴かれる。アルベリヒトは大公の娘バチルドと婚約していたのであった。裏切られたジゼルは発狂し、そのまま死んでしまう。乙女は死んで精霊になる。精霊の女王ミルタはジゼルを仲間にし、ヒラリオンとアルベリヒトを取り殺そうとするが、ジゼルの愛によってアルベリヒトは助けられる。
「ジゼル」は内容としてはありきたりだと論じられることが多いが、わたしはこのように解釈している。人間の文化の継続になくてはならないタイプのお話のひとつだと思っているのだがどうだろう。
カーン版:
時は現代。ジゼルは安い労働力を提供する移民系プロレタリアート。資本主義によって激烈に搾取されている。身分を隠した資本家側の青年アルベリヒトと恋愛中。ヒラリオンは一種の資本家の犬。騒ぎを起こしたジゼルを殺したのはヒラリオンにちがいない。バチルドは超ファッショナブルな服装の大資本家メンバー。ミルタは搾取され死んでいった女工たちの亡霊の女王で、巨大な縫い針(上写真。カーンは「杖」が好きなようである)を武器に資本家とその犬をとり殺す...
開幕と同時に、いやさ開幕前の地鳴りのような音楽からしてカーン節大炸裂。
わずかな一瞬たりともダレない、一片の悪いスキもない、最高密度の舞台だった
(聞くところによると最初の何回かの公演はプロダクションに何かしら問題があったそうだが、おそらく完璧に改善されていると断言してもいい)。
オリジナルのアダムの曲をベースにした宇宙から来るような音楽と、カーンの好む、チャントのようなリズム、ダンサーの体が鳴らす一定のリズム、群舞の活用とレベルの高さ、照明の効果は、観客を一種の宗教的法悦の域に連れて行くのだった。
こういう舞台芸術を見たかったのだ! と拍手しながら叫びたくなる。
群舞はどこをとってもすばらしかったし、ジゼルのタマラ・ロホ/Tamara Rojoは言わずもがな。特にアルベリヒト役のJames Streeterとの最後のパ・ド・ドゥの美しさは忘れがたい。あのアダムの美しい旋律の繰り返しとともに。
そしてヒラリオンのシーザー・コラレス/Cesar Corralesのギラッギラのカリスマ性は、まるで1幕目は彼のために製作されたか、と思うほど効果的だった。
また、ミルタ役のStina Quagebeurの表現する「恨めしや」度は日本の幽霊なみの迫力。ポワントの使い方が秀逸で、カーンはバレエダンサー出身ではないが、彼の舞踏一般に対する理解の深さを感じる。
金原里奈さんは群舞のひとりだが、その抜群の存在感にすぐに気がついた。彼女は並のダンサーではない。絶対にこの世界で出世されると思う。
現代が舞台なだけに、ジゼルはおそらく乙女ではない(妊娠していると読み取れるゼスチャーが繰り返される)。労働力としても、性的にも、肉体的に極限まで搾り取られ、捨てられ、替えがいくらでもいる労働者は、最初から最後まで効果的に用いられている「壁」で、別世界に生きる大資本家と隔てられている。この壁はしかも村上春樹がエルサレム賞を受賞したときのスピーチに言及した壁なのであろう。
それから女工の亡霊というのは、わたしにすぐドガの「婦人用帽子屋」を思い出させた。あの大好きなドガの絵を。
ああ、今夜にでももう一回見に行きたい!
日本に住む大親友がカーンの大ファンなので、ビデオを見せて2人で語り合いたい!
来年のロンドン公演まで待てない!
星5つ。
(写真はhttp://giselle.ballet.org.uk/photography/production-imagesから拝借いたしました)
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