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leonard de vinci 1452-1519




今年はルネサンスの巨星、レオナルド・ダ・ヴィンチの死後500年だ。

ロンドンのナショナル・ギャラリーでも『岩窟の聖母』を一枚だけ(!)展示した映像中心の特別展が開かれたし、今回訪れたパリのルーヴル美術館の展覧会Leonard De Vinci 1452-1519もチケットは早いうちに完売、追加分も秒速で売り切れたそうで、世間の関心度の高さがうかがえる。


レオナルドは完璧主義と探究心をこじらせ、生涯で20点ほどの作品しか残さなかったが、超然絶後の発明家、メモ魔でもあり、手稿やデッサンにも凡人の想像をはるかに超えたおもしろいものがたくさんある。

彼は若くして名声を得たものの、その仕事の遅さと作品を完成させられない性分があだになり、最終的にイタリアではパトロンを得られなかった。
死の前の数年はフランスを一流国家にせんという野心に燃えるフランソワ1世に庇護を得た。

世界で最も有名な絵画を挙げるとしたら、絶対に『モナ・リザ』が入るだろう。
ルーヴルと世界の有名コレクションあげての今回の展覧会中も、当の『モナ・リザ』は定位置のドノン館のガラスケースにおさめられたままであったが、その『モナ・リザ』がレオナルド出身のイタリアでなく、フランスのルーヴルにあるのもフランソワ一世との関わりのためである。

(『モナ・リザ』はこの作品一点だけ展示する部屋かスペースを作るべきではないかと思う。というのは『モナ・リザ』を見るための行列と人だかりがこの部屋に溢れかえっており、同室しているティッツイアーノやヴェロネーゼをゆっくり見学できない状態になっているのだ)






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ところで最近、80年代に大ヒットしたウンベルト・エーコ原作『薔薇の名前』がテレビミニシリーズ化され、年末に見た。
ビジュアルも内容も俳優陣もおもしろかったが、わたしが忘れられないのは、見習い僧アドソが恋をする「少女」の顔だった。
登場人物中、唯一名前が出てこない人物で、『薔薇の名前』とは彼女のことだという解釈もある。

なぜそんな話を持ち出すかというと、彼女の顔がレオナルドの描く天使の顔を思わせたからだ。


『薔薇の名前』の重要なキーワードは普遍論争である。
普遍論争とは簡単にいうと、普遍概念は実在するのか、それとも単に理解の中にのみ存在するのか、という中世のスコラ哲学の課題。

唯名論の立場は、普遍の概念は類の「名前」としてのみ、人間の理解の中にのみ、存在するとする。
たとえば女、薔薇、という普遍の概念を表す「名前」は存在する。が、類の「名前」があるだけで、それの原型となるような普遍的な「形」はどこにもない。
つまり、実際にあるのはただそれぞれ個々の女や薔薇である。

実在論は、どこかに「女」や「薔薇」という普遍的で理想的な「形」が実在し、個々の女や薔薇はその形から流出してきたもの、影、というような立場をとる。
例えばある形状の人間が「女」と認識されるのも、一種普遍的な「女」の「形」がどこかに存在するからこそである、と。
ある形状の花を「薔薇」と呼ぶのも、一種普遍的な「薔薇」の「形」がどこかに存在するからである、と。
プラトンのイデア論などが実在論である。





見習い僧のアドソにとって「その少女」は生涯でたった一度の恋、ひとりの「少女」だった。
彼は最初、師であるバスカヴィルのウィリアムの理論にしたがって、たったひとりの「その少女」という個だけが存在すると考えていたようだ。が、後年、実在論的に考えるようになったらしい。
わたしの想像するところでは、つまり「その少女」は彼の中で観念化され、あたかも理想的、普遍的な原形としての「少女」になった...のか。
なんと美しい。

なぜこんな話をしているかというと、先にも書いたようにミニシリーズの中で少女を演じている女優さんがレオナルドの描く天使を思わせる、という瑣末につきるのだが、僧侶としてその後女性と一切恋愛的関わり合いのない人生を送ったアドソが、「その少女」を理想的、普遍的な「少女」に観念化してしまったのと同じように、レオナルドも実母と縁が薄かったようで、彼が描く聖なる女は、個々の女というよりは、あたかも原型としての女を描いているように見える。それが永遠性とか、聖性をかもしだしている。

一方、レオナルドが描いた、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの愛人である、ルクレツイア・クリヴェッリ『貴婦人の肖像』はまぎれもなく「その女」という個に見える。

レオナルドは『絵画論」の中で「人間の似顔をそのまま描くことは、「個」のために「普遍」を捨てること」だと言っている。
だとすれば、彼が描いた聖母や聖アンナが「女」という普遍的で理想的な原型を描いているように見えるのは当然なのかもしれない。





レオナルドが生きた頃は、フィレンツェでメディチ家を中心にプラトン研究が盛んになり、美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって人間は神の領域に近づくことができると考えた。
新プラトン主義の思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えたのである。例えばレオナルドより8歳年上のボッティチェルリは強烈に影響を受けている。


ルネサンスのある時期まで、特定個人の似顔絵にすぎなかった肖像画を、人間という普遍的な存在を描く新しい絵画へ発展させたのがレオナルドだったのだ。


そういうことを激混みの中で考えた展覧会だった。


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