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Brugge Style
ナフプリオ殺人事件 - ヴェネツイア共和国の秘宝
その島に要塞が建っているのがご覧いただけるだろうか。
ではボートに乗って近寄ってみましょう...
去年の夏休み、ベトナムに旅行した時、滞在したホテルの一つが、メコン川の中島にひとつだけ建つ形式だった。
宿泊客とスタッフのみ、ボートでしか出入りができないホテルだったことから、アガサ・クリスティのミステリが好きなわたくしは、南国の午後の暇に任せて、ChatGPT に密室殺人系のミステリー作品を書くよう指示したのだった。
テキトーな荒いプロットを用意しつつ、小説の中に自分を美化して登場させたいものだなあと妄想し、ChatGPTが出力してきたのが紫藤(しどう)という美しく賢い日本人女性だった。
ChatGPT、なかなかよいネーミングセンスを持っている。
紫藤は彼女の家に代々伝わる「愚寓留」という分厚い百科事典を持っている(舞台は世紀末19世紀ね)。
しかも博覧強記を誇るベルギー人の大学教授の夫を持ち(理想だわあ!)、エルキュール・ポワロの旧友である...という夢のようなオハナシ!
ChatGPT、冴えてるぞ。
夢を見るのはフリー、自由でかつタダなのである。
こういう話につきあってくださる方はどなたでもわたしの友達。
事実、Aさんは今年も紫藤の活躍を楽しみにしていてくださっているとメールをくれた。アリガトウゴザイマス。
山頂の堂々たるパラミディ要塞を望む
今年、ギリシャ滞在中に、ナフプリオというヴェネツィア共和国の色が濃く残る街も絶対に訪れたかった。
理由は、わたしがヴェネツィア共和国の海外飛地にとても興味を持っていること以外にもあった。
ナフプリオは、古代ギリシャでアルゴスというポリスの外港としてすでに使われていた。
今に残るのは、ヴェネツィア風の洒落た街の背後を守るように山頂には堂々たるパラミディ要塞。
湾の沖には、小島に防衛のための水城が建っている。すでに写真で紹介したブルツイ要塞。
小島にある小さく美しいブルツイ要塞は、最初、15世紀にイタリア人によって建設された。
次にヴェネツィ人が来てさらに進化させ、敵船の進入を防ぐためにチェーンを取り付け、大砲を置いた。
現在でもボートでしか出入りできない小島の要塞であり、1930年ごろには12室のホテルとして使用されていたこともあるというのである。
ポワロが活躍するのにぴったりのシチュエーション!!
背後の山頂のパラミディ要塞は、1000年の歴史を誇った海の強国ヴェネツィア共和国が、息も絶え絶えで滅びんとするころの哀愁を物語る。
ヴェネツイア共和国は地中海貿易と政治の権謀術数で富をほしいままにしたが、大航海時代に入ると重要性が相対的に低下、またオスマン帝国の侵攻により疲弊、多くの領土を失いつつ衰退していった。
山頂のパラミディ要塞は、ヴェネツィア共和国が、海外に築いた最も大きな建築物である。
しかし、すでに国力の衰えは隠せず、パラミディ要塞を守るために常駐したのはわずか80人の兵士であったという。
1714年、オスマン・ヴェネツィア戦争が勃発した。
オスマン帝国はペロポネソス半島に侵入、コリントスを占領。
ヴェネツィア艦隊は、オスマン帝国の次のターゲット(モレア)の救援に向かうより、戦力を温存すべきという意見によって出撃が遅れてしまった。
やっと艦隊がモレアに到着した時には、ナフプリオをはじめ、他のヴェネツィア基地、モドン、コロニ、マルヴァージアはすでに陥落していたという。
1715年のことである。
ヴェネツイア共和国は、そのわずか80年後、1797年、ナポレオンによって滅びたが、その前年の1796年の時点でヴェネツィアが保有していた艦隊は4隻のガレー船と7隻のガリオット船のみであったという。
なんという悲哀。
あの海の大国が!
かつて大変な栄華を誇り、ついに玉砕した誇り高き海の大国...
わたしは海沿いにヴェネツィア共和国が築いた基地に、その象徴「聖マルコのライオン」を訪ね歩くのが大好き...!!
うむ、ミステリ的には、「ヴェネツィアの財宝」がどこかに隠されていてほしい...(実際はヴェネツィアにそんな余力は到底なかっただろう)
まあそんな妄想をしつつ、わたしの旅は続くから飽きない。退屈しない。暇はいっぱいある。
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