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Brugge Style
アヴィニョンの思い出
南仏アヴィニョンはリュベロン地方の含まれるヴォクリューズ県の首都である。
そして何はさておきこちらにはアヴィニョン教皇庁(上の写真)が。
そのいきさつはものすごくおもしろい。数年前にも書いたので端折るが、
十字軍の失敗によりローマ教皇は権力を失墜させており、一方でフランス王は中央集権の地道を着々と固めていた。
時のフランス王は美麗王フィリップ4世である。
このころの歴史をたどっていると「またあなたですか」と、超美形であったらしい彼の顔を想像しては苦笑せざるをえない。
テンプル騎士団を全滅させたり、ブルージュを含むフランダース地方に野望を抱いたり、ユダヤ人を追放したり...
フィリップ4世は戦費調達のために教会財産にも課税し、時の教皇ボニファティウス8世を激怒させる。
彼がアナーニ事件がきっかけで「憤死」した話、教科書で見て覚えておられる方は多いと思う。憤死て...ショッキングですわな。
2代後の(次の教皇は8ヶ月で亡くなったため)クレメンス5世は、美麗王フィリップ4世の圧力の元でローマ入りを果たさず(果たせず?)、フランス中を物見遊山してまわる。結局アヴィニョンがお気に召したようで、当地のドミニコ会修道院にそこに教皇庁を仮設したという。
うん、分かる、アヴィニョンには落ち着きたくなる何かがある。天気もいいし、交通の要で、食べ物もワインもおいしいし...
その後7代(1309年から1377年まで)アヴィニョン に教皇庁が置かれる。
アヴィニョンの教皇庁は腐敗を極め、ローマに不在の教皇に対して憤ったイタリア人人文学者ペトラルカは、アヴィニョン を「西のバビロン」と酷評。
なにしろバビロンは「大淫婦」ですから...堕落した快楽の街。
教皇庁宮殿の内部を見学していても、さぞや豪勢だったのだろうと想像できる。
タイムスリップしてぜひ見てみたい、その贅沢の粋。
数年前、まだ中等部の生徒であった娘と訪れた記憶が蘇る。
街角の写真を撮っては「ここ、覚えてる?」と娘に写真を送信するわたしたち...
ついこの間のできごとのようなのに、もうそれがこの手の中にないとは、ものすごく不思議な気がする。
ここを訪れ、去っていった人たち。700年前も、数年前も。
娘自身は急激に変化した。しかしアヴィニョンもわたしたち両親も、もっとゆっくりした時間の流れの中を生きているようだ。
そしてもちろん誰もが知っているあの歌。
橋の「上」で踊ろよ...
アヴィニョンの橋の「下」からお送りしました。
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