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ゴルドの崩れた教会の壁




南仏リュベロン地方の山頂にある村ゴルド(Gordes)は、数多くある「美しい村」の中でも最も観光客が多い村だそうだ。

その中心広場に立つ、18世紀に献堂された聖フェルミン教会内は壁や天井などが多少荒れている。
人の出入りも激しく、共同体は潤っているだろうにもかかわらず、だ。

19世紀から20世紀にかけ、この地方を何度か地震が襲ったからだけではなさそうだ。
この一帯、石を積んだだけの村がたくさん残っているので、地震とは無縁かと思っていた。


いや、しかし、またその壁の荒れ具合は美しい。
まさか、そのように感じる人が多いのでそのまま、ということもないと思うが...


ある種のものは、きんぴかでまっさらなものよりも、時間が経過して崩れかけ、色あせて不完全なものが美しいと感じるのはなぜなんでしょうね?
時間が可視化されるから?
侘びや寂びの美を、ことさら美しいと感じるのはどんな対象、どんな場面においてなのでしょうね?


パルテノン神殿を初めとしたギリシャ神殿や、あるいは古代ローマ神殿、さらに神々の像などはもともと一部原色に彩られていた。
18世紀美術史家のヴィンケルマンが、古代ギリシャ文化こそが至高の文化であり、理想的で美のイデアを表すものと表明、その文化遺産もピュアな「白がよい」と発言したため、悪名高き英国博物館らが全部洗わせてしまった(エルギン・マーブル事件)という。

それを知っていても「単色の方が美しい」あるいは「ミロのビーナスもサモトラケのニケも腕や頭が欠けているからこそ美しい」と思うのかも...

単にそのように見慣れているからだろうか、それとも想像の余地があるからだろうか。





山の頂上の村の起源は、ケルト人の城塞都市だという。
以後、古代ローマ人がやって来、8世紀にはローマ神殿の跡地を利用してベネディクト会が修道院を建設した。しかしアラブ人の襲来によって破壊される。
11世紀には封建領主が城を建設。
14世紀には100年戦争の影響で市壁が建設される。

100年戦争で一般市民が恐れたのは、イギリス軍やフランス軍に攻められるというよりも、解雇された傭兵に対する防御である。
100年戦争といってもきっちり100年間ずーっと戦争していたわけではなく、休戦期間がある。休戦期間中は傭兵が解雇され、解雇されるたびに無給になる彼らは村を略奪してまわった。




ものは滅び、季節は移ろう。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.


教会を出たところで出会ったスイス・ホワイト・シェパード。
美貌。性格よし。

今日のいちばんかわいいひと。
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