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夢の浮橋 ヴェネツィア



サロンから見る夕暮れの大運河。
中央角の印象的な白っぽい建物はPalazzo Grimani di San Luca、グリマーニ宮殿。
サンミケーリによる16世紀ルネサンス様式。



ヴェネツィアは世界で最も好きな場所のひとつだ。

そう思う人は世界中にいると思う。



ちょうど対岸。真ん中の白い建物がポポドリ宮(Aman Venice)。
現在はゴンザーガ一族の持ち物で、別棟の最上階にお住まいである。
16世紀Giangiacomo dei Grigiの作品。



その歴史はいかにも大河小説的。
東西を結ぶ交易拠点であり、文化的にも宗教的にも政治的にも常に東西に開かれていた。

第4次十字軍を利用してちゃっかりと勢力圏を広げたり、あるいはレパントの海戦は、ヴェネツィア共和国の海軍力なしでは西欧連合軍はオスマン帝国に勝利できなかったという。



なんとこちら、16世紀レパントの海戦で使われた軍艦(ガレオス船かな?)の照明。


そして言論や表現の自由が保障されていた。人権がというよりは、戦略的に有利だったから、という理由で。

何より海に浮かぶ街のつくりは非常に特殊、かつロマンティックだ。
蛮族の急襲から逃れて、潟に村落を作る...ってどんな発想?!

朝霧の向こうから徐々に現れる朝の光景、黒い水と空に反射する夜景。
水面を這う音。

参道のような路地を結んで突然開ける広場。
道路のかわりの運河を行くボートやエレガントな形をしたゴンドラ。




異国情緒あふるる、贅をつくした建築、彫刻、光と色に潤む絵画。
権力の誇示。
ヴェネツィア共和国は、国家の偉大さを天下に示し、名声を高めるために、国そのものを「壮大な記念碑」にしようとしたという。

そんなヴェネツィア共和国の遺産は楽しみ尽きない...



ティエポロのフレスコ天井画のあるパパドポリ宮殿(Aman Venice)のサロン。
ティエポロのフレスコが残る宮殿は、一時期ティエポロ一族の持ち物だったそう。
わたしはこちらを独り占めで読書、夫は隣の図書室が気に入って仕事までしていた。



しかし、いくつヴェネツィアに惹かれる理由を並べてみても何か重要なファクターを言い落としている気がする。
リスト化しても、すればするほど欠落感が浮かび上がる。
その言い落としは、尊いものが失われ、もう取返しがつかなくなったときの悲しみ、喪失感に似ている。

わたしの愛する故郷、神戸と並んで、ヴェネツィアにはその何かがある。

何かとは何か?(笑)




それはおそらく「もうこの地上から失われて二度と取り戻すことのできないもの」である。

先日、パリのパサージュ(19世紀に盛んに作られたアーケード状の商店街)について書いたことでもあるが、パリのパサージュにもその「何か」がある。
いくら技術が発達しても、世界にあるだけのお金をかけても、もう二度と取り戻すことのできないものである。

それは「昔の人が見た美しい夢」なのだ。

ベンヤミンも鹿島先生もそうおっしゃっている。
と、思うよ(笑)。



ヴェネツィアを代表する宮殿といえばカ・ドーロ。エキゾチックなレース飾りが千夜一夜の夢のように美しい。
15世紀、ヴェネツィアン・ゴシック様式。コンタリーニ一族のために建築された。



先日ウィーンではシュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』を再読した。
この本は19世紀「古き良き時代」が毎日少しずつ失われゆくのを歌い上げる。


「そういうものが昔あったよね」と、誰もが懐かしさと切なさ、喪失感を抱く。
子供時代、青春、恋愛、憧れ、人(の死)、故郷、記憶。信心や祖国や言語や民族だったりもする。

ヴェネツィアの夢も、もう失われてしまってどこにもないからこそ、バックパッカーも、大学生も、詩人も、大統領でも女優でも見られる、フリー(フリーには「自由」と「無料」の意味がある)な夢なのである。

貿易都市として生き延びるために、共和国体制や、政教分離や、芸術、自由な気風、など、使えるものはすべて使って維持していたヴェネツィアの「夢」。
「もっと遠くへ、もっと早く、もっと繁栄したい」という気分といってもいいかもしれない。


もうどこにもない夢だからこそ、世界中の旅行者をひきつけ、いろいろな価値を持った人が口々に「美しい」と言うのかもしれない、と思う。



ティエポロの天井フレスコ画のあるベッドルーム。いい夢を見た。
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