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ハリケーンとウイルスとブレクジットのロンドンから




欧州に住まう方が書かれたニュース記事の中に、

街で「(新型コロナウィルス感染で)咳が止まらないのですが、どうすればいいですかね」と、嫌がらせで質問してきた人がいて、「私は日本人ですけど」と答えたら気まずそうに去って行った...

というくだりがあったそうである。


わたしは読んでいないのだが、これまた欧州住みのわたしの友達が読み、「もし自分がこんな嫌がらせを言われたら、どう答えたらいいのー?」と。


そりゃ、「バカにつける薬はないそうですね。お気の毒です。」と教えてあげたら感謝されるんじゃない、と言ったら彼女は涙を流しながら笑っていた。


フランス語のハッシュタグ#JeNeSuisPasUnVirus(私はウィルスではない)がツイッターのトレンドになったように、もしわたし自身が「ウィルス」呼ばわりされたり、ヘイトスピーチ的罵声を浴びたら...

「無知は感染力が強いみたいですね!」と言いかえしてやろうとか、ゲホゲホしながら追いかけ回してやるとか、実際に差別被害を受けておられるアジア人の方の気持ちを想像してはそんなイメージトレーニングをして溜飲を下げている。


幸いロンドンでは今のところそんな目には合っていない。
ロンドンはさまざまな人種のるつぼなので、差別も当然あるだろうが、差別を許さないという意識もまた大変強いのである。

パリも普通そうなのに...
それなのに当地で人種差別が時に激しく噴出するらしいのはなぜなのだろう。


社会の破綻を回復しようとする動きが起こるたびに、供犠(<共同体血色のために生贄を捧げること)が要請される。
人間は例えば社会の急激な変化や、未知のウィルスなどへの恐怖、つまり具体性のない敵と戦うことはできない。敵は名前があり、具体的な形を持っていなければ戦えない(その後きっちり排除するためにも)。

今あちこちで報告されている人種差別的攻撃、ヘイトスピーチを見ていると、人種的、政治的対立、経済格差、社会矛盾や不満、恐怖、これらの複雑な問題を単純に「ウィルスを広げる中国人」に収斂させているような感じがする。

これがEU問題になるとターゲットは「自分たちだけ得をしているグローバリスト」や「移民」「マイノリティ」になる。
社会は常に「自分だけが大損をしている。本来は受けられるだけの権益を受けられていないのはあいつらのせいだ。あいつらさえいなくなれば秩序は戻る」という不満でパンパンなのだ。



差別意識というのは誰もが持ちうる意識だ。
だからこそ、自分自身がまず強く戒めるべきだと思っている。
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