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Brugge Style
マラガのピカソ
ピカソは1881年スペインのマラガで誕生した。
彼の生誕の地を祝福し、2003年にブエナビスタ宮殿にピカソ美術館がオープン、こちらの展示物は親族からの285点の寄贈がベースになっている。
彼が生涯に製作した作品は、油絵だけで一万三千。版画、素描、陶芸などの作品は十三万点を超える。
だからといってはなんだが、美術館一つをこしらえるのも一丁上がり。ピカソのブランドも特級なら、なにしろ間違いなく「儲かる」。
マラガという、ヨーロッパからの手頃な避寒避暑地として絶大な人気を誇るパーティタウンに、文化的な香りをもうひとつ添えた感じになっている。
海岸に面しているためか(この一帯の海岸線がコスタ・デル・ソル、太陽海岸)気温は内陸部に比較してすごしやすい。この時内陸のセビリアは47度になった一方、マラガは最高気温28度だった。
マラガの空港にレンタカーを返却する前、3時間ほど時間があったのでこちらを再訪して夕食を食べて空港へ行く計画にした。
正直に言う。
わたしはピカソは美術史上、大変重要な人物だとは思うし、追随を許さないほどものすごく上手いと思っているが、あまりいやほとんど...好きではない。
一言で言えば、他人、特に女性に対する敬意が全くうかがえないからである(写真は比較的落ち着いたものを選んで載せた)。
それがたとえ彼の戦略であり、「美術館という入れ物の中で、作者の芸術を証明するために制作された作品」であるとしてもだ。
ピカソによって引き起こされた嫉妬心によって自尊心を破壊され、人格が崩壊していく女性の描写。彼にとって「女は苦しむ機械」にすぎないのである。
あるいは、ピカソの破壊的な芸術への理解こそ、反ブルジョワ的偽善、反良識、新しいとか革新的(それが美をすら凌ぐ)いうような図式が、ちょっと嫌だなあ。
前衛的な表現には、その衝撃によって人々の美意識や価値観を揺さぶり、動揺させて覚醒させ、社会や芸術のありようを再検討するように仕向ける意図があるにしても。
また、作品の「自分語り」度が作品の価値を決めるのが現代美術であるにしても。
美術品のよしあしを、美術館に入れるに相応しいかどうかで判断する今日的な美術館の概念に照らすと、ピカソはやはり特級の芸術家である。
娘とのアンダルシア地方への旅行(目的はグレナダのアルハンブラ宮殿でマルタ・アルゲリッチのコンサートを見ることだったのだが、ついでにうろうろ観光してまわった)、お客さんが続いたためにのんべんだらりと続けてしまった。これで終わりにします。読んでくださった方、ありがとうございます!
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