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Brugge Style
バロックの天上界かロココの天上界か
一番下の写真と比較して下さい。
この世は暗く苦い。
われわれは、いま、ここ、ではない、どこか遥かかなたの楽土を夢見る。
左のオルガンの扉まで...お墓はこの右手にあって、現在修復中
ヴェネツィア美術はヴェネツィアで見るべき、とよく言われる。
まあどんな美術も本来はそうなのかなと思うが、有難いことにヴェネツィアには本来の場所(聖堂、同心会、パラッツオと呼ばれる邸宅、政府の建物など)に、よく美術品が残っている。
多くが世界中の大美術館に散逸していることが多い現状のなかで。
そんな幸福な環境が多いヴェネツィアの街歩き、以前にもなんども書いたことがあるので、今回はある日訪れた2つの聖堂の話にかぎって描きたい。
一つはバロック、ヴェロネーゼ(のお墓もある)の「菩提寺」サン・セバスティアーノ聖堂。
もうひとつはティエポロのジェズアーティ聖堂である。
両方とも、繁華街からは離れていて、海に近く、2月の今は特にひっそりとしているのがいい。
ヴェロネーゼを見てからティエポロを見て感じたのは、バロックのヴェロネーゼは、人物にどっしりと重力を感じ、とてつもなく安心感がある。
一方でティエポロは透明感があり、軽やかでふわふわ無重力を感じ、上昇気流に乗れ、吸い込まれるような気分になる。
わたしが滞在しているパパドポーリ宮には、ヴェネツィア最後の巨匠、ロココ期のティエポロのフレスコがたくさん残されており、見飽きない(首が痛くなる)。
例えばヴェネツィアが産んだルネサンスの巨星、ティッツイアーノの作品を、ヴェネツィアの湿潤で明るい光が水面に反射する教会の祭壇で見るのと、ロンドンのナショナルギャラリーで見るのは全然違う経験になる。
こちらもサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ聖堂にある、ティツィアーノ『ペーザロの祭壇画』、奥に巨大な円柱体(シャフト)が描かれている理由は、聖堂内に建築として実際設置されている円柱体が、絵の中にまで続いている効果を狙ったものだ。
この場にあってこそ。
アカデミア美術館には眩しいくらいの作品がまとめて置いてあり、もちろん見学するのは至上の喜びではあるが、街をぶらぶら歩いているときにひょいと入った教会に「あ、またティントレット...」というかたちで作品と出会えるのは、なんというか、狂おしいほどの喜びである。
臨終にどんな天上界を見たいか...
人間の可憐さにじんとして涙が出る。
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